部下思いの春日局(その2)

俺はこのブログで日本の歴史学界に蔓延する陰謀論史観」をさんざん批判してきた。そしてこれからも批判するつもりだ。


そう言っておきながらお前も陰謀論かよってことになるかもしれないけれど、当時の幕府と西本願寺の確執を考えれば、この書状の文面を額面通り受け止めていいものかという疑問が沸くのは当然のことだ。
※ たとえば徳川家光寛永11年(1634年)上洛したが、西本願寺の国宝の対面所(鴻の間)上々段は家光接待のために新設されたという。しかし家光は来なかった。
京都検定現地講習会「西本願寺の歴史と文化財」・・・【京都検定で旅する京都】



それと、この前書いたばかりだが日本の歴史学界に蔓延しているのは「陰謀論史観」だけではない。「善悪逆転史観」も蔓延している。
⇒現代日本を蝕む○○史観 - 国家鮟鱇


春日局といえば「悪女」「烈女」として知られている。


そのイメージを覆そうという風潮があり、そのような話が好きな研究者が存在し、また世間でも受け入れられやすい(自分は頭が良いと自負している人間の方がこの手の話に食いつくだろう)。


※ 特に「悪」とされているのが女性だと、貶められてきたものを正すという正義感が強烈に芽生える研究者がいるようだ。


もちろん春日局の実像を再検討することは重要である。しかし「おいしい話」に安易に飛びついて良いというものでもない(下手すれば「悪女」のイメージを払拭すると同時に、家光や幕府を守るために尽力した彼女の功績を貶めることになるかもしれない)。


以上の理由から、この話はもっともっと検証する必要があると俺は考える。


(追記)
普通に考えれば医師を雇えというのは「医師として雇え」ということだろう。医師は患者の生死を握っているものだから余程信頼できる人間でなければならないはずだ。春日局に仕える医師は彼女から強い信頼を得ているということであり、その医師を西本願寺の門跡の医師に雇うということは、西本願寺側にとっては容易ならざることであろうと思うのだが。