楽地楽座とは何だったのか?(その16)

「加納楽市場」は浄泉坊を中心とした寺内町である。


だが「近年の研究」は楽市場と浄泉坊(円徳寺)の関係を否定している。これでは話が全く咬み合わない。両者の関係を示す状況証拠はいっぱいあると思うのだが、なぜか多くの研究者がそれを認めたがらない…


さて、ここで加納楽市場と安土の楽市楽座の違いを簡潔に書いておく。


「加納楽市場」は浄泉坊を中心とした寺内町である。一方、安土の楽市楽座安土城を中心とした城下町である。


この違いは両市場の性格を決定的に異なるものとしているのであり、その違いを認識しない(すなわち加納楽市場と浄泉坊の関係の否定)のでは、誤った結論を導き出してしまう(と俺は思う)。


で、安土についての詳細はまた後で書くことにして、引き続き「加納楽市場」について。

(永禄10年)
一 当市場越居之者、分国往還不可有頂、井借銭・借米・地子・諸役令免許訖。難為譜代相伝之者、不可有達乱之事、

(永禄11年)
一、当市場越居之輩、分国往還煩有へからす、并に借銭・借米・さかり銭・敷地年貢・門なみ諸役免許せしめ訖、譜代相伝の者たりといふとも、違乱すへからさる事、

この条文が「縁切りの原理」を前提にしたものだということは既に書いた。加納楽市場というアジールに「越居」した者は、俗世間において結んだ「縁」を断ち切った者である。よって俗世間における貸借関係はチャラになるし主従関係も解消される。縁切寺に駆け込んで一定の期間すぎれば夫婦の縁が切れるのと同じ原理。


さて、加納楽市場は信長の市場振興策だとか戦後復興策だとか、城下町を発展させるためだとか言われている。ここがアジールかはともかく、税金を払わなくてもいいのだから人が集まってくるはずで、それによって経済が発展すると、つまり現代でいえば経済特区とか、法人税を下げて外資系起業を誘致するとかいった、そういうのと同じようなことを考えているのだろう。


しかし、これは本当にそういった話だろうか?


借金がチャラになった上に、今後は税金を払わなくても良い。これは非常においしい話のように思われる。そこに行きたいという人は大勢いるように思われる。ただし、俺の考えではそのような「特権」を得るには「縁切り」が条件になっているように思われる。すなわちチャラになるのは借金だけではなく俗世間で結んだ全ての縁を切らなければならないように思われる。それは容易な話ではないだろう。


また、加納楽市場が浄泉坊の寺内町だとすれば、そこの住民は全て浄土真宗門徒であろう(と俺は思う。寺内町について詳しくないんだけどそうではないのか?日蓮宗の信者が浄土真宗寺内町に住むというのはちょっと想像できないのだが…)


だとすれば「当市場越居之者」となるには他宗の者は浄土真宗に宗旨替えするのが条件となろう。信仰の問題だからそれは相当な覚悟が必要になるのではないか?


また、税金がかからないというけれども、それは領主が税金を取らないということである。しかし浄泉坊の寺内町なんだから、浄泉坊に何らかの形で税金に相当するものを納めることになっているのではないだろうか?


という疑問があるのである。