引き続き『妄想かもしれない日本の歴史』(井上章一 角川選書)より。熱田の神が楊貴妃の役に選ばれたのは楊貴妃伝説とヤマトタケル伝説が似ているからだという井上氏の主張はまず成り立たないことは既に書いた。
それに関連して井上氏は
それにしても、女装である。
いっぱんに、ヤマトタケルは、日本神話を代表する英雄として知られている。日本における英雄叙事詩の時代を象徴する人物として、位置づけられることもある。しかし、女装で敵をだましうつような英雄が、ほかの民族にあるだろうか。
そんなの英雄がすることじゃあない。私は中国からきた留学生に、ヤマトタケルのことをそう論評されたことがある。女装者を偶像視する日本の古典が、彼らには信じられないようである。
と書いている。そして「民族の好み」をあらためて考えなおさなければならないと書く。
まず思うのは、「古代」(楊貴妃伝説を加えれば「中世」)の日本の伝説と、現代の中国人留学生を比較して「民族の好み」などと決め付けることができるのだろうかということ。
「女装」に限定しなければ、「策略を用いて敵を倒す」という話は日本には他にもある。その一つが「かちかち山」で、ちょうどこの前ネタにしたのだが、ネットで調べると「うさきは卑怯だ」という意見があった。中国人じゃなくて日本人でもそういう見方はあるのだ。
他にも有名な類話がある。スサノオのヤマタノオロチ退治だ。スサノオはオロチを酒で酔わせて寝たところを切り殺したのだ。スサノオとヤマトタケルには類似点が多い。ということは同じルーツを持っているのではないかと考えられる。
問題はそのルーツは日本で発生したのかということだ。多くの神話がそうであるように外部から、特に大陸からやってきた可能性が高いのではないか?
中国にはそのような伝説は存在しないのだろうか?「中国からきた留学生」が自国の伝説に必ずしも詳しいわけではないだろう。
※ なお「中国には神話がない」ということがいわれる。その意味するところは中国にも神話があったが、虚構だとして退けられ、または歴史的事実とみなして荒唐無稽な部分が排除されて神ではなく人として記録されているということらしい。もっともヤマトタケルも「人」として記録されている。ただし死後に白鳥になるなど徹底されているわけではない。
そして当然のことながら、日本と中国だけでなく他の地域ではどうなのかということも考えなければならない。しかし残念ながら俺は詳しくない。詳しくないが「トリックスター」という言葉は言葉だけは知っている。
トリックスター (英: trickster) とは、神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を引っかき回すいたずら好きとして描かれる人物のこと。善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など、全く異なる二面性を併せ持つのが特徴。
ただ、肝心の「策略を用いて敵を倒す」という話の具体例がどれほどあるのかがよくわからない。しかしオデュッセウスの「トロイの木馬」はその典型例であろう。敵に接近するために策略を用いたのだからヤマトタケルと同じだ。
他にもあるんだろうが今は調べてる余裕がない。
※ ところでヤマトタケルが「英雄」だと形容されるのは自信はないけれどおそらく明治以降にそうみなされたということだろう。そしてこれも詳しくはないけれど古い本をみると「英雄時代」という言葉をよく目にする。
日本でも高木市之助や石母田正が神武天皇や日本武尊の伝説がそれに相当し、指導者による専制が他国よりも強いことを前提としながらも大和朝廷の時代を「日本の英雄時代」と比定した。
つまり、古代・中世・近代といった西洋の歴史時代区分を日本に当てはめたのと同じように「日本の英雄時代」というものを設定するという風潮の中でヤマトタケルが英雄とみなされたということではあるまいか。
井上章一氏といえば『日本に古代はあったのか』という本で日本の歴史区分に異議を唱えている(未読だが)。その井上氏がヤマトタケルを「英雄」と呼んでいるのは、どういうわけであろうか?読んだ感じではそのあたりに問題意識を持っておらず、無頓着に「英雄」と呼んでいるように思われるのだが。