熱田神宮の楊貴妃伝説

『妄想かもしれない日本の歴史』(井上章一 角川選書)に熱田神宮楊貴妃伝説が紹介されているのだが、井上氏はヤマトタケルが女装して熊襲を殺害した伝説により、草薙剣をまつる熱田神宮が選ばれたのだろうと書いている。


だが、熱田は「蓬莱島」と呼ばれている。白居易長恨歌

昭陽殿裏恩愛絕、蓬萊宮中日月長 - 昭陽殿での恩愛も絶え、蓬莱宮の中で過ごした時間も長くなりました。

長恨歌 - Wikipedia
とあり、楊貴妃は仙女となって「蓬莱宮」に住んでいることになっている。


熱田の楊貴妃伝説(PDF)
によれば、熱田=蓬莱説は『海道記』(1223)が初出で楊貴妃伝説は記されてない。楊貴妃伝説は『渓嵐拾葉集』文保二年(1318)が初出だという。ただし熱田に楊貴妃が住んだというだけの話らしい。熱田大明神が楊貴妃となり日本を救ったという話は『雲州樋河上天淵記』大永3年(1523)が初出だそうだ。


したがって、ヤマトタケル伝説から熱田が選ばれたのではないことはほぼ確実だろう。


そもそもヤマトタケル伝説と熱田の楊貴妃伝説がそれほど似ているとは思えない。ヤマトタケルが女装したのはクマソタケルに接近して殺すためだが、熱田大明神が玄宗に接近したのは殺すためではなく女性に溺れて政務をないがしろにするためであろう。ヤマトタケルは朝廷に従わない賊を退治するのが目的だが、熱田大明神の場合は玄宗の日本征服計画を阻止するためである。


※ ところで井上氏は「楊貴妃に変身した」というけれど、唐に楊貴妃という女性がいてその姿に化けたということではない。『雲州樋河上天淵記』に「生代楊家而為楊妃」とあるから、熱田大明神が楊氏の娘として人の姿で生まれ出たということだろう。ちなみに楊貴妃は719年生まれで玄宗に見初められたのが740年というから、気が長い計画である。
楊貴妃 - Wikipedia