羽柴氏(その2)

「羽柴氏」の続き。


『豊鑑』(「群書類従」)より、

其比信長の心に叶ひのゝしる柴田修理亮勝家。丹羽越前守長秀とかやいひしかば。其人の名字を一字づつたまはらんとて。丹羽の羽に柴田の柴をそへ。羽柴筑前守と改給しとなり。

この記事は信用してよいだろう。ただし、それは漢字の「羽柴」の由来だと俺は考える。


すなわち、最初に秀吉は「はしば」と名乗ろうと考え、それに柴田の「柴」と丹羽の「羽」を充当したという話であり、ゼロからいきなり二人の字を取って「羽柴」としたのではないだろうというのが俺の考えだ。


それでは「はしば」とは何か。


俺は「土師場」のことではないかと思う。


秀吉の母が御器所(ごきそ)で生まれたという伝説があることは何度も書いた。


御器所の地名の由来。

往古、この地は神宮の神領にて神祭土器を調整したところから、御器所なる地名が生まれたとも伝えられ、『尾張誌』に「熱田神領にて神祭に用ふる土器を調達する故に此の名ありと伝ふ」と記されており、熱田神宮にかかわりがふかい土地柄であったと思われます。

八所明神御器所八幡宮ご由緒

上代、陵墓管理、土器や埴輪(はにわ)の製作などをした人。

はじ【土師】の意味 - 国語辞書 - goo辞書


御器所」が「土師(はじ)のいる場所だった可能性は高い。すなわち「土師場(はじば)」だ。


また、御器所の隣に「天神町」という地名がある。天神はもちろん菅原道真のことで、この地に道真が祀られていたという。
御器所天満宮


菅原氏は元「土師氏」である。
土師氏 - Wikipedia


「名字」は一般的には土地の名が付けられるものであるからして、「はしば」も土地の名である可能性がある。とすれば、それは「御器所」のことを「はじば」と呼んだということなのかもしれない。


※なお小和田哲男氏は『豊臣秀吉』(中公新書)の中で御器所に注目して、

彼女が木地師集団となんらかのつながりをもっていたことを想定することはまちがっていないのではなかろうか。

と書いている。しかし、秀吉の母の時代に木地師集団がいたというよりも、上にある通り、上古に土師がいたので「御器所」だと考えるべきではなかろうか。秀吉の母の時代にそこにどんな職業の人が住んでいたかは不明だ。狭い領域に領主が存在しているところから見て非農業民が住んでいたのではなかろうかとは思うけれど。



以上、俺は「はしば=土師場」ではないかと考えるのだけれど、捨て難いもう一つの仮説も持っているのであった。


(つづく)


※ところで、これはあくまで参考としてなんだけれど、秀吉と同じ尾張中村出身の武将に小出秀政という人物がいる。

正室豊臣秀吉の母・大政所の妹で、秀政は秀吉の叔父(叔母婿)に当たる。

小出秀政 - Wikipedia
秀政が領したのが和泉岸和田であった。この地に土生(はぶ)神社があり祭神は菅原道真。この地域に土師氏がいたと考えられているそうだ。
土生の歴史