2012-02-08から1日間の記事一覧

『将門記』託宣のド素人の素朴な疑問(その5)

⇒(その4) ところで平将門と多治氏には重要な接点がある。 將門已柏原帝王五代之孫也 ⇒将門記 群書類従本 藤原忠平宛ての書状で将門は柏原帝王(桓武天皇)五代の孫であると述べている。将門の父が平良将。その父が高望王(平高望)。その父が葛原親王。そ…

『将門記』託宣のド素人の素朴な疑問(その4)

⇒(その3) 将門新皇の王朝で上野守に任命された多治経明とは一体何者か? ウィキペディアの説明を見てもほとんどわからない。 ⇒多治経明 - Wikipedia ところで俺は多治経明という名前を知って真っ先に思い浮かべた人物がいる。 その人の名は「多治比文子(…

『将門記』託宣のド素人の素朴な疑問(その3)

⇒(その2) 平将門が「新皇」と称したのは現天皇に取って変わろうとしたのか、「分国の王」のつもりだったのか? この将門の新皇僭称は、朱雀天皇を「本皇・本天皇」と呼んでおり、藤原忠平宛ての書状でも「伏して家系を思いめぐらせてみまするに、この将門…

『将門記』託宣のド素人の素朴な疑問(その6)

⇒(その5) ド素人による初歩の初歩の初歩的な疑問なんだけれど… 道真の亡霊は御霊(ごりよう)(御霊信仰)となってたたりをすると信じられた。《将門記(しようもんき)》(940)によれば,平将門の乱の際に,八幡大菩醍が将門を新皇にするとの託宣をくだしたが,…