ド素人による初歩の初歩の初歩的な疑問なんだけれど…
道真の亡霊は御霊(ごりよう)(御霊信仰)となってたたりをすると信じられた。《将門記(しようもんき)》(940)によれば,平将門の乱の際に,八幡大菩醍が将門を新皇にするとの託宣をくだしたが,この八幡の神意をとりついだのが道真の霊だとされている。
⇒菅原道真について
(DVD-ROM 世界大百科事典 日立デジタル平凡社より)ということで筆者は日本中世史・文学研究者の桜井好朗氏。
菅原道真が怨霊だというのは超有名な話だ。
では『将門記』における道真も怨霊なのか?桜井好朗氏に限らずそういっている学者は多い。定説といってもいいのだろう。
ただ気になるのが、
「八幡大菩薩使。奉授朕位於蔭子平將門。其位記、左大臣正二位菅原朝臣靈魂表者、右八幡大菩薩、起八万軍、奉授朕位。今、須以卅二相音樂、早可奉迎之。」
1 仏の位の次にあり、悟りを求め、衆生を救うために多くの修行を重ねる者。文殊(もんじゅ)・観音・弥勒(みろく)・勢至(せいし)・普賢(ふげん)など。元来は釈迦の前生時代の称で、大乗仏教がおこると、将来仏になる者の意で用いられるようになった。
何でそんな立派な方が怨霊と一緒にいるんですか?って話ですよ。
もっとも菅原道真も「大日如来の化身である帝釈天の弟子観自在天神」なんだそうだけれど、この説がこの時点であったか不明。
俺の仏教理解および神仏習合への理解が足りないせいかもしれないけれど、納得のいく説明は検索しても見当たらなかった。
この託宣の菅原道真は怨霊ではなく、したがって朝廷への叛逆の意思をもって将門に皇位を授けることに関わったのではなく、単純に八幡大菩薩の臣として振る舞っているだけではなかろうか?
すなわちこれは将門王朝における天壌無窮の神勅であり、八幡大菩薩と菅原道真を天孫降臨におけるタカミムスヒとアマテラスになぞらえているのであり、それ以上の意味は無いのではなかろうか?
将門の目的は王朝を立てることであり、京都の王朝を倒すことではない(結局は同じかもしれないが)。
これについてはもっと深く深く考えてみる必要があると思われる。