『戦国武将と男色』(乃至政彦)より
戦国武将と男色―知られざる「武家衆道」の盛衰史 (歴史新書y)
- 作者: 乃至政彦
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2013/12/01
- メディア: 単行本
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一、弥七郎に頻りにたびたび申し候えども、虫気の由、申し候間、了簡なく候。全く我が偽りになく候事。
一、弥七郎、とぎに寝させ申し候事、これなく候。この前にもその儀なく候。いわんや昼夜とも弥七郎と彼の儀なく候、なかんずく今夜存じ寄らず候の事。
一、別して知音申したきまま、色々走り廻り候へば、かえって御うたがい迷惑に候。この条々いつわり候は、当国一、二、三大明神、富士、白山、殊ニ八幡大菩薩、諏方上下大明神より罰をこうむるべきものなり。仍如件。
内々法印にて申すべき候えども、甲役人多く候わば、白紙にて、明日重ねてなりとも申すべき候。
七月五日 晴信[花押]
[春日]源助との
有名な武田信玄(晴信)の手紙。信玄が弥七郎とやったのではないかと源助に疑われて釈明しているという解釈が一般的だが、乃至氏は別の解釈を提示している。
それについて検証してみる。
まず、
一、弥七郎に頻りにたびたび申し候えども、虫気の由、申し候間、了簡なく候。全く我が偽りになく候事。
一般的な解釈は
いままで弥七郎に言い寄ったことはある。しかし弥七郎は虫気を理由に断ってきた
というもの。これに対し鴨川達夫が
お前の望むように弥七郎を連れて来ようと何度も試したが、腹痛を理由に断られてしまった
と読む新解釈を提示した。浮気を責められているのに、
何度も何度も言い寄ったのだが、思いを遂げることができなかったのは残念だ
と説明するのは、神経を逆なでする「バカ」な言い方だから不自然だというのが理由。
それに対し乃至氏は通説に従ってよいとする。
ただ、鴨川氏は「了簡なく候」を「思いを遂げることができなかったのは残念だ」と訳した上で、それはおかしいとしているわけだが、そこのところ『武田信玄と勝頼―文書にみる戦国大名の実像』(鴨川達夫)を読むと「了簡なし」は「考えがない」「どうしてよいかわからない」「どうにも仕方がない」という意味だと説明し、さらに
「仕方がない」という表現には、いうまでもなく「残念」「無念」という気持ちが含まれている
として、
何度も何度も言い寄ったのだが、思いを遂げることができなかったのは残念だ
という意味だとしている。そして鴨川氏は
言い寄ったのは事実だが、幸いにも一線を越えずに済んだ
などという言い方であれば、源助をいなすこともできるだろう。と書いているけれども、言い寄ったのに断られたのだから「残念」なのは当然のことであり、言い寄った事実を認めたからには、何と釈明しようとそれが変わることはない。従って言い寄った事実を認めた時点で源助の神経を逆なでさせることは避けられない。さらに言えば手紙を通説どおりに解釈すれば、結局のところ
言い寄ったのは事実だが、幸いにも一線を越えずに済んだ
という趣旨のことを信玄はいっているのである。ここのところ鴨川氏は奇妙なことを言っているように俺には思える。
では、なぜ信玄は源助の神経を逆撫でするようなことを言ったのかといえば、「言い寄っていない」とシラを切ることが出来ない状況にあったと考えれば無理なく解釈が可能であろう。
現代風にいえば信玄はフライデーされたのだろう。もはや「言い寄っていない」なんて言い訳は通用しない。しかしベッドインの写真までは撮られていない。だから「やらないかと言い寄った事実は認めるがやっていない」と釈明したのだろう。そう考えれば不自然なところはどこにもない。
しかし、それで解決かといえばそうでもない。鴨川氏の説明は奇妙だが、それでも鴨川氏の解釈であるところの、
お前の望むように弥七郎を連れて来ようと何度も試したが、腹痛を理由に断られてしまった
が破綻してしまうかというと、そういう解釈も可能であるように思えるのだ。
困った。
(つづく)