武田信玄の「ラブレター」(その4)

今日はもう書くのやめようと思っていたけれどあと一つだけ書いておく。


7月5日が庚申だということがわかったことにより、俺が最初に書こうと思っていたものは大幅に修正されねばならなくなってしまった。で、最初に書こうと思っていたのはどんなことかというと、


通説にせよ、鴨川説にせよ、乃至説にせよ、主張していることは大きく異なってはいるけれど、その基本にあるのは武田信玄はやったか、やらなかったか」という問題として認識しているということだ。


しかし、それとは違う見方もできるはずだ。すなわち「弥七郎はやられたのか、やられなかったのか」という視点で見るということだ。


たとえば男性アイドルが女性アイドルの住んでいるマンションに入っていくところと、朝方に出て行くところをフライデーされたとする。男性アイドルは「確かに彼女の部屋に行ったが朝方までテレビゲームをやっていただけだ」と釈明する。このとき、この釈明は誰に対して行われるのか?男性アイドルファンに「自分は潔白だ」と説明するためのものだとも言えるし、女性アイドルファンに「彼女は純潔だ」と説明するためのものだとも言える。


武田信玄は源助に釈明した。源助は信玄の「浮気」に怒っているというのが通説だ。だが源助は弥七郎を奪われたのを怒っているのかもしれないではないか?


もちろん、源助が信玄と恋仲なのではなくて、減助と弥七郎と恋仲だったのだとしたら、甲斐守護の御曹司である信玄は格下であろう源助に気を使う必要がないのではないかということになるかもしれない。だが可能性としては絶対にないとは言い切れないように思う。乃至氏も書いているように「武田家の後継問題」があったからだ。


(追記)この部分、文書が書かれたのがいつなのか不明という乃至説によっている。しかし天文15年なら既に父信虎を追放して家督相続しているので訂正。


とはいえ、「庚申」という新しい要素が出てきたので、今はまた違うことを考えている。ただし、上に書いたような考えも全く無駄になったわけではない。


(つづく)