武田信玄の「ラブレター」(その11)

既に書いたことだけれど「虫気」は三尸(さんし)の虫によって起こると考えられていた(上尸・中尸・下尸の内、中尸が腹の虫)。

弥七郎に頻りにたびたび申し候えども、虫気の由、申し候間、了簡なく候。全く我が偽りになく候事。

は、弥七郎が虫気だという情報を得た源助の問い合わせに信玄が答えたものというのが俺の解釈。さて、その次に

弥七郎、とぎに寝させ申し候事、これなく候。この前にもその儀なく候。いわんや昼夜とも弥七郎と彼の儀なく候、なかんずく今夜存じ寄らず候の事。

とある。これが「庚申」の話だということも既に書いた。庚申に寝ると三尸が体内から抜け出して天帝に日頃の行いを報告し、罪状によって寿命が縮んだり死後に地獄に落とされたりする。だからこの日は寝てはいけないということになっている。


弥七郎の虫気の話が出た次に、庚申の日に「寝させた」という話が出てくるのは、両者に関連があると考えるべきだろう。とすれば、これは
「弥七郎の虫気の原因は前の庚申の日に信玄が弥七郎を寝させたことにあるという疑いを源助が持っていた」
ということになるのではないだろうか?


信玄は弥七郎を殺そうとしているのだ。前の庚申で弥七郎は虫気になった。今夜また寝させられれば命にかかわる!源助はいても立ってもいられない心持だったのではないだろうか?


ところで「寝させ」るというけれど、具体的にはどのような方法で寝させるのか?たとえば酒で酔わせて寝させるなどといった何らかの方法を使うということも考えられるけれども、夜は通常寝るものであるから、弥七郎がうとうとしているのを知りながら何の対処もせずに放置しておくという方法もある。


しかし、弥七郎が大人であれば酒は断ればいいし、自力で徹夜ができないのかって話ではある。したがって弥七郎は子供の可能性が高いと俺は思うのである。弥七郎という名前から元服後であろうと思うけれど、5−6歳で元服する例もあるから問題ないだろう。


さて、ここで思うのは武田信玄の嫡男義信だ。
武田義信 - Wikipedia


義信は天文7年(1538年)に生まれた。ということは天文15年に9才だったことになる。弥七郎も義信と同年齢あるいはそれに近い年齢だったのではないか?


それで何が言いたいかというと、弥七郎は義信の遊び相手(近習)として信玄の屋敷に召されていたのではないかということだ。


もしそうだとしたら、

別して知音申したきまま、色々走り廻り候へば、かえって御うたがい迷惑に候。

の意味もみえてくる。


「知音」の意味は親しい関係になりたいということ。しかし恋仲という意味では全く無く、源助の一族と親しい関係になりたいということだろう。


友好関係を作るために源助の一族から弥一郎(源助の息子の可能性もある)を召して義信の遊び相手にした。弥一郎は将来は義信の側近となることが約束されたようなものだ。これを含む友好関係を結ぶための努力が「色々走り廻り候へば」ということだ。


だが、もし源助一族が武田に背けば弥七郎は殺されることになるだろう。だから人質でもある。そして友好関係を結びたいというのは実は謀略で、弥七郎を亡き者にするのが真の目的という可能性も無くはない。


源助は弥七郎を差し出したものの、まだ疑っていた。そこに弥七郎が虫気だという情報が入ってきた。庚申の日に寝させることでジワジワと弥七郎の健康を害そうとしているのではないかと不安になった。もちろん三尸なんて迷信だが源助は本気で信じていた。


それが

色々走り廻り候へば、かえって御うたがい迷惑に候

ということではないか?


つまり、

別して知音申したきまま、色々走り廻り候へば、かえって御うたがい迷惑に候。

とは、
「源助殿とは特別に友好な関係を築きたいと(弥七郎を義信の遊び相手にするなど)様々の便宜を図ってきたのに、それがかえって源助殿の疑心につながってしまったことに困惑しております」
という意味ではないだろうか。


(つづく)