武田信玄の「ラブレター」(その5)

昨日の続き
武田信玄の「ラブレター」(1〜4)
(注意:ここから先に書くことは一部の婦女子の方々を悲しませることになるかもしれない)


武田信玄の文書の解釈は通説、鴨川説、乃至説それぞれ異なるけれども、信玄と弥七郎が「寝たのか寝なかったのか」ということが問題になっていると捉えているという点で相違はない。


ここでいう「寝た」とは国語辞書的に言えば

共寝をする。同衾(どうきん)する。

寝る とは - コトバンク
という意味であり、もっと一般的な言い方をすれば
「やった」という意味である。


そう誰もが信じて疑っていなかった。


しかし、この文書が書かれたのは天文15年7月5日であり、この日は庚申であった。

三尸の虫は庚申の日の夜の寝ている間に天に登って天帝(「閻魔大王」とも言う)に日頃の行いを報告し、罪状によっては寿命が縮められたり、その人の死後に地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕とされると言われていた。

庚申待 - Wikipedia


庚申の日の夜に寝ると寿命が縮むのだ


俺が現在知る限りでは信玄文書と庚申を結びつけて考察したものは存在しない。しかし、このことを踏まえて考察すれば、「寝る」とは「眠る」という意味だという可能性が急浮上してくるのである。


庚申の夜に寝たか寝なかったか(眠ったか眠らなかったか)は寿命や死後に関わる重大な問題だからだ。


(つづく)