武田信玄の「ラブレター」(その10)

で、最初に戻って

一、弥七郎に頻りにたびたび申し候えども、虫気の由、申し候間、了簡なく候。全く我が偽りになく候事。

この解釈について、通説・乃至説では

いままで弥七郎に言い寄ったことはある。しかし弥七郎は虫気を理由に断ってきた

鴨川達夫説では

お前の望むように弥七郎を連れて来ようと何度も試したが、腹痛を理由に断られてしまった

解釈は全く異なっているけれども、どちらも弥七郎に何らかの行動をさせようとしたが断られたという点では共通している。当初は俺もそのように考えていた。


だが、そんな意味では全くない可能性が出てきた。源助は信玄の浮気などではなく、弥七郎の身を心配しているのだ。だとしたらこの文で重要なのは弥七郎が虫気だということそのものであろう。すると全く違ったものが見えてくる。

弥七郎に頻りにたびたび申し候えども、虫気の由、申し候間。

とは、主語を入れると

(わたくし信玄が)弥七郎に頻りにたびたび申し候えども、(弥七郎は)虫気の由、申し候間

となる。


信玄は弥七郎に何を「頻りにたびたび申し」たのか?実は、「お前は本当に虫気なのか?」と申したのだ。弥七郎はそれに答えて「はい、私は虫気です」と答えたのだ。そう解釈して、どこも不自然なところはないではないか!


すると、

弥七郎に頻りにたびたび申し候えども、虫気の由、申し候間、了簡なく候。

とは、
私(信玄)が弥七郎に「お前は本当に虫気なのか」と何度も何度も質問したのだけれども、弥七郎は「はい私は虫気でございます」と答えたので、どうしようもありません
という意味になる。


そこから推察できるのは、信玄は弥七郎の虫気を疑っていたのだろうということだ。


つまり、弥七郎は自分が虫気だと主張しているけれども、信玄の観察ではそのように見えず仮病か思い込みではないかと疑っているということだ。しかし本人がそう言い張っているのだから、違うと断言することもできないという状態にあるのだろう。


そこに弥七郎の身を心配する源助が、弥七郎が虫気だという情報を耳にした。弥七郎本人が伝えたのかもしれない。それで源助は信玄に問い合わせたのだろう。


信玄はそれに答えなければならないが、信玄は弥七郎が本当に虫気なのか疑っている。だけど本人が虫気だと言い張るのだから、信玄としてはそれをありのままに伝えるしかないではないか。


と考えれば、

弥七郎に頻りにたびたび申し候えども、虫気の由、申し候間、了簡なく候。全く我が偽りになく候事。

とは、

私(信玄)が弥七郎に「お前は本当に虫気なのか」と何度も何度も質問したのだけれども、弥七郎は「はい私は虫気でございます」と答えたので、どうしようもありません。(右のことは)全く私(信玄)の偽りではありません。

という解釈になる。



さて、なぜ信玄はこのようなことを書いたのか。それは弥七郎が虫気だというのは信玄にとって都合の悪いことだからだと考えられる。


なぜ都合が悪いのかといえば、信玄は弥七郎の身の安全に責任を持つ立場にあったからだということになろう。そして、弥七郎の身に何かあった場合には源助から責任を問われる立場にあったということにもなろう。だから弥七郎が虫気を訴えても簡単には認められなかったのだ。


そう考えれば弥七郎が何者かが見えてくるのではないだろうか


弥七郎は源助の身内で、信玄の元に預けられていたのではないか?


つまり「人質」ではないかということだ。


(つづく)