武田信玄の「ラブレター」(その9)

武田信玄の「ラブレター」(1〜4)
武田信玄の「ラブレター」(5〜7)
武田信玄の「ラブレター」(8)


次に

 内々法印にて申すべき候えども、甲役人多く候わば、白紙にて、明日重ねてなりとも申すべき候。

この部分について『武田信玄と勝頼―文書にみる戦国大名の実像』(鴨川達夫)では特に説明していいない。『戦国武将と男色』(乃至政彦)では既に書いたが

本当は私的に牛王宝印を押した護符に書くべきところ、甲府に役人が多くて用意できなかったため、とりあえず白紙で用意した。明日にもあらためて書き直す。

という訳を採用している。「甲役人」が甲府の役人という意味ではなくて、庚申待の役人だという説があることも既に書いた。鴨川氏はそれをおそらく知っていると思われるが説明はない。


しかし、なぜ信玄はそんなに急いでいるのだろうか?


鴨川氏の説明はないが、おそらくは、浮気疑惑を晴らすために一刻も早く源助に釈明したかったという解釈になるだろう。


乃至氏の解釈では、牛王宝印でなく白紙なのは内密にしたかったからで、役人に知られたくないからということになる。それならば翌日には甲府の役人(乃至氏は庚申待の役人という認識がない)が少なくなると信玄は考えているのだから、翌日に正式な誓約書を書くだけで良さそうなものではないか。乃至説では源助は老臣であり、一日も待てないほど急ぐ必要があるのか疑問に思う。


俺の解釈はこれらとは全く違う。


信玄が急いでい理由は、弥七郎が今夜(7月5日)の庚申待で眠らされるのではないかと源助が心配しているからだ。信玄はその心配を解消するために7月5日の内に源助にこの誓約書を届けなければならない。


こう考えれば極めて自然なこととなる。


つまり、源助が何者かといえば弥七郎の身を心配する立場の人間だということになる


(つづく)