武田信玄の「ラブレター」(その13)

武田信玄の「ラブレター」(1〜4)
武田信玄の「ラブレター」(5〜7)
武田信玄の「ラブレター」(8)
武田信玄の「ラブレター」(9〜12)

一、弥七郎に頻りにたびたび申し候えども、虫気の由、申し候間、了簡なく候。全く我が偽りになく候事。

一、弥七郎、とぎに寝させ申し候事、これなく候。この前にもその儀なく候。いわんや昼夜とも弥七郎と彼の儀なく候、なかんずく今夜存じ寄らず候の事。

一、別して知音申したきまま、色々走り廻り候へば、かえって御うたがい迷惑に候。この条々いつわり候は、当国一、二、三大明神、富士、白山、殊ニ八幡大菩薩、諏方上下大明神より罰をこうむるべきものなり。仍如件。

  内々法印にて申すべき候えども、甲役人多く候わば、白紙にて、明日重ねてなりとも申すべき候。

   七月五日    晴信[花押]
      [春日]源助との


ここまでの考察によって全体を意訳してみる。

一、私(信玄)は弥七郎に「お前は本当に虫気なのか」と何度も何度も質問しましたが、弥七郎は「はい私は虫気でございます」と答えるので、どうしようもありません(自分の体ではないので本人がそういうのなら私にはそれ以上のことは言えません)。(右のことは)全く私(信玄)の偽りではありません。
一、弥七郎を伽(庚申待の徹夜)に(弥七郎の健康を害する目的で)寝させたことはありません。この前の(庚申待)にもそのようなことはありませんでした。まして(庚申の日の)昼夜に弥七郎と一緒に寝た(ふりをして弥七郎だけを寝かせた)ことなどありません。とりわけ今夜(の庚申待)で弥七郎を寝させるなど思いもよらないことです。
一、源助殿とは特別に友好な関係を築きたいと、(源助殿の近親の弥七郎を我が家に迎え入れるなど)様々の便宜を図るよう奔走してきましたが、そのことがかえって源助殿に(弥七郎を害するための謀略ではないかといった)疑念を起こさせてしまい、とまどっております。
(中略)
内々に牛王宝印にて起請文を書くべきところですが、庚申待の役人が多いので(庚申の今日中にお知らせするために)白紙に書きました。(庚申待が終る)明日には改めてお知らせいたします。


7月6日 晴信
源助殿

となる。


これは信玄の「ラブレター」では全くないというのが俺の結論。


最後に源助と弥七郎は何者なのかについて少しだけ考察して終りにする。


(つづく)