武田信玄の「ラブレター」(その12)

残る問題は

いわんや昼夜とも弥七郎と彼の儀なく候

の部分だけだ。これさえ解決すれば、今までの諸先生方の説よりも俺の仮説の方が遙かに優れている。


なんてことを書くと、この前の「信長の天下」のときのように「史料に基づかない推測(願望)」なんてあざ笑われるのだろう。しかし、前の話もそうだが、通説だって「史料に基づかない推測」なのだ。史料が無い以上そうするしかないではないか。歴史学では歴史史料が何でもかんでも揃っていて史料の残っていないものは扱わないなんてことは全くないのである。そんなことをしてたら極めて限定されたものしか扱えなくなる。史料があるのならそれに基づかなければならないが、それには限界がある。そういう場合は考えられうる仮定の中から最も説得力のあるものを選んでそれを「暫定的に正しい」とする方法が取られる。これをアブダクションという。なおこれは歴史学に限ったことではなく、自然科学に属する進化論でも使われる。誰も進化するところを見たことがないし、過去に起きた進化を実験で確認するわけにもいかないからだ。


武田信玄文書に関しても、諸先生方の主張にも証拠史料など一つもない。源助が春日虎綱(=高坂昌信)なのだとしたら、多少は証拠らしきものになるかもしれないが、それは現在の学界では否定的な見方が大半だ。


要は文書の中に「とぎに寝させ」とあることと「知音」とあることによって性的な内容なのだと推測しているに過ぎない。しかし「とぎ(伽)」も「寝させ」も「知音」も性的な場合にだけ使うものではない。それ以外の意味でも普通に使われている。そしてこの文書が書かれたのが庚申の日であるのなら「とぎ」も「寝させ」も庚申に関係のあることだと考える方が余程理に叶っている


(しかも今までの説にはこの日が庚申だということを考慮した形跡がない。考慮した上で庚申と関係がないとしたのではなく気付いていないだけなのだ)


あとは先入観を排除するだけだ。


さて、

いわんや昼夜とも弥七郎と彼の儀なく候

だけれども、これがこの文書が性的な事柄ではないかと推測させる最後の砦となる。「弥七郎と」とあるからには「彼の儀」を信玄と弥七郎が一緒にしたと考えるより他はない。だからやはりこれは「同衾」を意味しているのだと。確かにこれは厄介だ。


しかし突破口はある。


既に書いたように、俺の推理では弥七郎は子供である。とするなら信玄と弥七郎が一緒に寝たとしても、そこに性的な関係はなく、単に一緒に寝たという話の可能性がある。


俺の訳では、この部分は「昼夜ともに弥七郎と一緒に寝たことが無いのは言うまでもない」ということになる。「言うまでもない」というのは「夜に寝たこともなければ、ましてや昼に寝ることなどあるはずがない」ということだろう。


庚申の日の夜は徹夜する習慣があった(庚申待)。しかし昼に寝るのはどうなのかという疑問があったのだが、「世界大百科事典 第2版」に

庚申の日,昼夜寝なければ三尸は滅んで精神が安定し長生できると記す。

三尸 とは - コトバンク
とあり、庚申の日には昼寝することもタブーであったことが確認できた。一般に「庚申の日の夜」と書かれているのは、「昼に寝ないのは当たり前」という前提と「庚申待は夜の行事だから」というのが理由だろう。


信玄が昼に寝させていないと釈明したのは、源助が「信玄は弥七郎を昼に寝させたのではないか」という疑念を持っていたからだろう。その昼に寝たというのは、性的なことではなく単なる「昼寝」の可能性は十分ある。


そして信玄と一緒に寝たといっても、性的に考える必要はなく、息子の義信と同い年ぐらいの子供の横で一緒に寝たというだけの話だという可能性も十分ある。一緒の布団で寝るとかいった話ではなく床に並んで寝た程度でも「一緒に寝た」であろう。義信も一緒に寝たのかもしれない。もちろん信玄はそれを否定しているのである。庚申の日は昼に寝るのもタブーだからだ。だが源助はそれを疑ったのだろう。


そこで想像力をたくましくすれば、信玄は弥七郎を寝させていないと言っているけれど、前の庚申の日に本当は昼寝させてしまったのではないだろうか?と思えてくる。


つまり信玄は、庚申の日に寝ると三尸云々ということを本気で信じているわけではなく風習だと思っていた。信玄は仏教の熱心な信者だとされているけれど、庚申は道教に由来するものだし、これを信じてなくても不思議ではない。一応徹夜することは慣習に従って守るけれど昼寝するくらい構わないだろうと思っていたのではないか?


だが信玄は信じていなくても、他の人が信玄と同じだったとは限らない。源助は信じていた。あるいは弥七郎がそのことに気付いて気にしだしたのかもしれない。弥七郎は本当に腹痛だったのかもしれないが、気にしすぎて腹が痛く感じてしまったのかもしれない。その話が源助に伝わって源助は信玄に問い合わせた。源助は信玄の「謀略」を疑った。迷信を信じる源助は、信玄が弥七郎を弱らせて最終的には殺す目的で、庚申の日の昼に一緒に寝るふりをして自分だけは寝ないで弥七郎だけを眠らせたのではないかと。


信玄としては庚申の日に寝たからといって体調が悪くなるなんてことはあり得ないと思っていた。だから弥七郎の虫気を疑ってさえいた。しかし本人が虫気だと言い張るのだから違うとは言えない。そして弥七郎が虫気だとしたら、その原因は信玄が昼寝させたことにあるとして源助は信玄を責めて友好関係が破綻するかもしれないので、信玄は本当に昼寝させたのだとしてもシラを切り通すしかない。


そういうことだった可能性もあると思う。


(つづく)