『井伊家伝記』は正しく読まれているのか?(その4)

昨日も引用したけれど

両親御なげきにて、一度は亀之丞と夫婦になさるべきに、様を替え候とて尼の名をは付け申すまじき旨、南渓和尚に仰せ渡され候故、次郎法師は最早出家に成り申し候上は是非に尼の名付け申したきと、親子の間黙止難く、備中次郎と申す名は井伊家惣領の名、次郎法師は女にこそあれ井伊家惣領に生れ候間、僧俗の名を兼ねて次郎法師と是非なく南渓和尚御付けなされ候名也、

この部分について、『この一冊でよくわかる! 女城主・井伊直虎』(楠戸義昭)に

尼になれば一生涯、尼でいなければならず、還俗すなわち俗人に戻ることはできない。しかし、僧侶であれば「いざ」の時に還俗できる。だから次郎法師と名乗ることを運命づけられたというのだ。

ということが書かれている。もちろん『井伊家伝記』にそんなことは書かれていない。『井伊家伝記』に書かれていることの背景にはそういう理由があったのだという推測であろう。


この説はネット上で広く流布しているけれども、最初に言い出したのは誰なのだろうか?俺は小和田氏を疑ったけれども、もしかしたらこの本の著者の楠戸氏かもしれない。


というのも、よくよく見れば、この本には、「次郎法師は女にこそあれ、井伊家総領に生れ候間、僧侶の名を兼て次郎法師と是非なく」とあるから。


上の『「井伊家伝記」に記される次郎法師 - 井伊直虎 〜史実から謎を解く〜』に載る読み下し文と比較すると、「惣領」と「総領」、「僧俗」と「僧侶」の部分が異なる。


「惣領」と「総領」は意味が同じだから良いとして、「僧俗の名を兼ねて」と「僧侶の名を兼て」では意味が異なる。そして「僧侶の名を兼て」と読んだからこそ上のような解釈が出てきたのだろうと思われる。


どっちが正しいのだろうか?


ただし、そもそも「僧侶の名を兼て」だとなぜ「次郎法師」という名になるのか意味不明ではなかろうか?少なくとも俺には理解不能。おそらく楠戸氏的には「尼=女・僧侶=男」という意味であり、「僧侶の名」というのは「男性僧侶の名」とされていると思われ、しかしながら「次郎」は男性僧侶の名ではないので、次郎に「法師」と付けたのが「(男性)僧侶の名を兼て」だということを言いたいのではなかろうかと思う。しかし「尼法師」という言葉があるように法師は男性僧侶にだけ使うものではない。そういう意味ではなく他の意味なのかもしれないが、俺には全く想像できない。そもそも「兼て」とあるが何と兼ねたのか?


やはりここは「僧俗の名を兼ねて」であって、「次郎」が俗名で、それに「法師」を付けるから「僧俗の名を兼ねて」なのではなかろうか?


※ 仮に「僧侶」が正しくても、それは尼だと還俗できないから男性僧侶の名を付けたという意味ではないと思う。