『井伊家伝記』は正しく読まれているのか?

直虎は「女城主」ではなかった? 別の男性とする新史料


新史料の信憑性についてはわからないけれど、この問題についての議論で気になっているのが『井伊家伝記』は正しく読まれているのか?ということ。『井伊家伝記』はもちろん二次史料であって信用性は劣るけれども、それにしたって正しく解釈しなければさらに混沌を生むことになる。


といっても俺は『井伊家伝記』を読んでいない。ネットで断片的に知るだけではある。それでも俺が特に気になっているのは、

小和田哲男はこの史料が江戸時代に書かれたもので同時代史料でないこと、当該の「井伊次郎」が直虎である記述がないこと、「次郎」は井伊家総領代々の仮名であり、次郎法師が存在する段階で別の人物が「井伊次郎」を名乗るのは考えにくい点を指摘している[20]。

井伊直虎 - Wikipedia
ということ。この点は大河ドラマやその解説をしたネット記事を見て非常に違和感を持った。なぜなら『井伊家伝記』には

備中次郎と申す名は井伊家惣領の名、次郎法師は女にこそあれ井伊家惣領に生れ候間、僧俗の名を兼ねて次郎法師と是非なく南渓和尚御付けなされ候名也、

「井伊家伝記」に記される次郎法師 - 井伊直虎 〜史実から謎を解く〜
と書いてあるからである。


見ての通り「次郎」ではな「備中次郎」である。『井伊家伝記』によれば井伊家の初代共保は備中守を称したという(史実かはともかくそう認識されている)。『井伊家伝記』の著者(祖山とされる)の認識では、井伊家の惣領の名は「備中次郎」であってただの「次郎」ではない


しかるに次郎法師の父の直盛は「井伊信濃守直盛」と書かれている。すなわち「備中次郎と申す名は井伊家惣領の名」というのは、井伊家惣領が代々「備中次郎」と称していたという意味ではない。ではどういう意味なのかというと難しいところなので下手な解釈は控えておく。


けれども、これをもって「次郎」は井伊家惣領だけが名乗れる名と解釈するのは、大いに問題があるのではないだろうか?すなわち「次郎」は惣領の名ではあるけれども、惣領ではない「次郎」がいないとは限らないのではないか?


だとすれば、

「井伊次郎は総領の仮名云々」は、まちがっている。「次郎」というのは代々が名乗っていた絶対的通称ではない。江戸期につくられた『井伊家伝記』という物語本がいっているだけである。

井伊次郎(直虎)新史料公表(一部)における関係識者のコメントについて(井伊美術館)
というのは、「次郎」が惣領のみが名乗れると解釈する小和田氏に問題があるのはもちろん、『井伊家伝記』にそのようなことが書いてあるとする井伊達夫氏にも問題がある可能性があるのではないか?いや『井伊家伝記』を精査したわけではないので、そうではないのかもしれないけど…


また次郎法師が「次郎」を称しているのは、もちろん惣領だからではない。「井伊家惣領に生れ候間」とは「井伊惣領家に生まれたので」という意味であろう。『井伊家伝記』においては、この時点ではただの出家であり、井伊直親が殺されて直政が幼年のために後見するなどいうことは想定されていない。両親が「尼の名をは付け申すまじき旨」南渓和尚に命じたのでこうなったのである。なお、井伊直平次郎法師の曽祖父)の子の井伊直満は「彦次郎」、直義は「平次郎」を称したとされるが、これも「井伊家惣領に生れ候間」だからではなかろうか?