武田信玄の「ラブレター」(その8)
⇒武田信玄の「ラブレター」(1〜4)
⇒武田信玄の「ラブレター」(5〜7)
次に
一、別して知音申したきまま、色々走り廻り候へば、かえって御うたがい迷惑に候。この条々いつわり候は、当国一、二、三大明神、富士、白山、殊ニ八幡大菩薩、諏方上下大明神より罰をこうむるべきものなり。仍如件。
「知音」とは
《中国の春秋時代、琴の名人伯牙は親友鍾子期が亡くなると、自分の琴の音を理解する者はもはやいないと愛用していた琴の糸を切って再び弾じなかったという「列子」湯問などの故事から》
1 互いによく心を知り合った友。親友。「年来の―」
2 知り合い。知己。「―を頼る」
3 恋人となること。また、恋人。なじみの相手。
「しをらしき女は大方―ありて」〈浮・一代男・三〉
この部分、鴨川達夫氏は
(お前とは)特別に仲よくしたいので、いろいろ努力したところ、かえって疑われてしまい、困惑している。
と訳している。「仲よくしたい」とは恋仲になりたいという意味にも思えるが、その後に
信玄は、あれこれと手を尽して、源助の理解を得ようとしたのだろう。
とあり、源助の「誤解」を解いて仲直りしたいという意味のようにも思える。「知音」を「恋人となること」と「説明をして誤解を解いて正しい理解をさせる」という両方の意味で使っているようにもみえる。少々疑問の残る説明だろう。
一方、乃至政彦氏は通説とは全く違った解釈をしている。この部分を
弥七郎相手に知音(特別親しい関係)を求めてしまったせいで源助を疑わせてしまい、迷惑をかけてしまった
と源助に詫びているのだとしている。源助は信玄の恋人ではなく口うるさい老臣で、信玄の男色を憂慮して諫言したことに対する信玄の誓詞なのだという。
だが、この解釈は苦しいように思う。これだと「かえって」が意味不明になってしまうからだ。「かえって」とあるからには、良かれと思ってやったことが逆の結果を招いてしまったということだろう。この話の流れでは弥七郎と関係を持つことは老臣にとって良いことのはずがない。
ともかく、ここの部分はかなり解釈が難しいことが窺われるのである。
そして、俺の解釈はこれらとはまた全く違ったものだ。それについて説明するためには、その前に弥七郎の正体を考察しなければならないので、また後に書く。
(つづく)