内田樹先生の「ふしぎ」

弁慶のデインジャー対応について (内田樹の研究室)

最初の「リスクとデインジャー」から最後までつっ込みどころ満載である。どこがつっ込みどころかというよりも、ある程度同意できるところは、

だから、もし大災厄を生き延びた場合には、どんなことがあっても、「生き残ったことは単なる偶然であり、生き延びたことに『理由』を求めるのは愚かなことである」というような発言をしてはならない。

のみだ。しかし、これだってケースバイケースだ。自分に特殊な能力が備わっているというような誇大妄想的な理由を批判してはいけないということはないし、逆に過重な責任感が負担になっている人にはそういって慰めてあげることもできる。その場合は科学的に正しいからそうするのではない。



俺は基本的に日本史に関係することしか書かないことにしているので、以上のことはさらにつっ込もうと思えばつっ込めるのだが、やめておく。


というわけで、弁慶について。

『安宅』が弁慶の例外的武勲として千年にわたって語り伝えられているのは、「ないはずのものをあらしめることによって、あるはずのことをなからしめた」という精密な構造のうちに古人が軍功というものの至高のかたちを見たからである。

今年は西暦2011年である。千年前は1011年である。安宅関の逸話は文治3(1187)のこととされているから824年前のことだ。だから千年は言い過ぎだ。


しかも、この話は史実ではない。『安宅』の元ネタは『義経記』の「如意の渡にて義経を弁慶打ち奉る事」で、南北朝時代から室町時代初期に成立したものだ。だが『義経記』にも「勧進帳」の逸話は存在しない。
義経記 - Wikipedia
勧進帳」が登場する『安宅』は室町時代の成立で、今から550年ほど前になる。
安宅 - Wikipedia


さて、内田先生は、

そして、弁慶の「不思議の働き」によって、安宅の関では「起こるはずのこと」(富樫一党と義経一行の戦闘)は起らなかったのだが、それは「白紙の巻物」を「勧進帳と名づけつつ」朗朗と読み上げる弁慶の「ないはずのものが、ある」というアクロバシーと構造的には対をなしている。

と言う。問題はこの「不思議の働き」だ。


「安宅」で「不思議の働き」はどのような場面で登場するのか。

シテ いかに申し上げ候。さても唯今はあまりに難儀に候ひし程に、不思議の働を仕り候事、これと申すに君の御運、尽きさせ給うにより、今弁慶が杖にも当たらせ給うと思えば、いよいよ浅ましうこそ候へ。

子方 さては悪しくも心得ぬと存ず。いかに弁慶、さても唯今の機転更に凡慮よりなす業にあらず。ただ天の御加護とこそ思え。
関の者どもわれを怪しめ、生涯限りありつるところに、とかくの是非をば問答はずして、ただまことの下人の如く、さんざんに打って助くる、これ弁慶が謀(はかりごと)にあらず八幡の、

 地 御託宣かと思えば忝(かたじけな)くぞ覚ゆる。

安宅義経デジタル文庫)


勧進帳を読んだことで義経に謝るはずがない。ここで「シテ(弁慶)」の言った「不思議の働き」とは、義経を打擲したことである。


これは、つまり、弁慶が白紙の勧進帳を読み上げたのは弁慶の機転によるものだ。しかし、義経を打擲したのは弁慶がなしたことではない。天の加護、八幡の託宣だ(と義経は解釈した)という話でしょう。