『謎とき平清盛』(本郷和人)その6

その1
その2
その3
その4
その5


またまた「伊能文書」

 また巷説の如くんば、御手の衆、過半帰国の由、驚き入り候、おのおの兵を労るは勿論に候、然りといえども、此の節、信長滅亡の時刻、到来し候の処、唯今、寛宥の御備、労して功なく候か、「不可過御分別候」、猶ふと彼の口上に候、恐々謹言、


本郷和人氏の口語訳。

 聞くところによると、あなたの兵の大半が帰国したとのことで、びっくりしています。それぞれの大名家が兵をいたわるのは当然ですが、織田信長を滅亡に追いつめる好機が到来したいまこの時、そのような優しい気配りは、かえって労あるのみで功績を台無しにするものといえましょう。「不可過御分別」。なお、使者に口上を与えたのでお聞き下さい。恐々謹言。

本郷和人氏は「此の節、信長滅亡の時刻、到来し候の処」織田信長を滅亡に追いつめる好機が到来したいまこの時」と訳している。


俺が真っ先に気になったのはここだ。


まず「信長滅亡の時刻、到来し候の処」と「時刻」と「到来」の間に読点がある。しかしこれは「時刻到来」とすべきでなぜ区切るのか不思議に思う。


「時刻到来」の意味は、

何かをするのに都合のよい時機がやってくること。「海外進出の―だ」

じこくとうらい【時刻到来】の意味 - 国語辞書 - goo辞書


だが俺はド素人だし、「時刻到来」の意味の解説を見たこともないけれど、戦国時代の史料に見られる「時刻到来」の意味は違うのではないかと思う。


俺が個人的に理解する「時刻到来」の意味は宗教的な要素が含まれている。簡単に訳せば「その時が来た」ということだけれど、それではかなり説明不足。「その時」とは「都合の良い時」ではなく、むしろ良くない意味だと思う。すなわち「終わりの時」「滅亡の時」というときに使う言葉で、「伊能文書」でいえば「信長が滅ぶ時」という意味。


「信長が滅ぶ時」は武田信玄朝倉義景にとっては「都合の良い時」ではないかというツッコミがあるかもしれないけれど、ここはあくまで信長にとって良くないという意味での「時刻到来」と受け取るべきだと考える。


さらに「時刻到来」には「来るべきときがついに来た」というニュアンスが含まれていると思う。すなわちたまたまチャンスがめぐって来たというような意味ではなく、「信長が滅亡するのはあらかじめ決まっていて、その時がついにやってきた」という意味であろうと考える。


「信長が滅亡するのはあらかじめ決まっている」というのは誰が決めたのかといえば、それは人が決めたのではない。「天道」もしくは「仏道」が決めたのである(神仏混淆だから結局は同じ事だろう)。なぜ「天道」もしくは「仏道」が信長の滅亡を決めたのかは、これだけではわからない。比叡山を焼き討ちした結果かもしれないし前世の宿縁かもしれない。いずれにせよ信玄は信長が天もしくは仏によって滅ぼされるということを確信していたに違いない。


ただ、天や仏が信長を滅ぼすといっても、現実に信長を滅ぼすのは人である。だがそうであっても、そこには天や仏の意志が働いおり、人はその「大いなる意志」によって意識するしないに関わらず行動していると考えられていたのではあるまいか。


すなわち「此節信長滅亡時刻到來候処」とは、「天(または仏)が信長を滅ぼす時がやってきた」という意味であり、信玄や義景はその意志を実行する役に任じられたということでしょう。


それなのに朝倉義景は兵を国に返してしまった。つまり「天(または仏)」の意志に反することをしてしまった。そのことを信玄は指摘しているのでしょう。


「不可過御分別候」の「分別」とは、

1 道理をよくわきまえていること。また、物事の善悪・損得などをよく考えること。「―のないことを言う」「よく―して態度を決める」
2 仏語。もろもろの事理を思量し、識別する心の働き。

ふんべつ【分別】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
という意味だ。


つまり信玄は義景に対して「信長を滅ぼすという天(または仏)の意志をよくよく考えて間違わないように」と諭していると理解できるだろう。


これを「織田信長を滅亡に追いつめる好機」と訳したのでは真意が汲み取れないし、「不可過御分別候」の解釈もおかしなことになってくると思うのである。