石谷家文書の解読(その4)

石谷家文書の天正10年5月21日付長宗我部元親書状。これについては考えなければならないことが山ほどある。できることなら本能寺の変を研究する専門家全員が、この書状の解読と現代語訳をして欲しいと思ってる。専門家の解読・解釈は、細かいところで相当異なっているのではないだろうか?それを一冊の本にして出版してほしい。まあ売れそうにないし無理だろうけど…
(なぜそう思うのかといえば、その小さな違いが全体の解釈に大きく影響を与えると思うから)


盛本昌広氏の『本能寺の変 史実の再検証』は『石谷家文書 将軍側近のみた戦国乱世』(浅利尚民・内池英樹 以下『石谷家文書』とする)の解読を採用して

東州平均に属し奉り、 御馬を納められ、貴所以って御帰陣目出たき候

としている。しかし『石谷家文書』を全て素直に採用しているかというとそうではない。

尚々、頼辰へ不残申
達候上者、不及内状候へ共
心底之通粗如此候、
不可過御斗候

「不可過御斗候」の部分を

お計過ぎるべからず候、

と読み下し

よろしくお計らい下さい

と訳している。あと

たゝ当国の門に

たゝ当国入門の

としている。あと「うしき」が「うき」になってるけれども、これはミスだと思われ。


このうち「不可過御候」は林原美術館の当初の発表では「不可過御申候」だった。「計」と「斗」じゃ全然違うように見えるけれども、電子くずし字字典で見たら、これが実に紛らわしい。『石谷家文書』で見ると「汁」みたいになっていて「計」にも「斗」にも見える。素人目にはさっぱりわからない。


ただ「斗」は「はかる」と読めるので、「斗」でも「計」でも結局同じ意味なんだろうと思われ。


ただ、そこからさらにわからないのは「不可過御斗(計)候」が「よろしくお計らい下さい」になること。


直訳すれば「過ぎたお計らいをしないでください」となり、すなわち「やりすぎないでください」ということになると思う。「やりすぎないでください」は「適度にしてください」という意味とも受け取れるから、それが「よろしくお計らい下さい」ということなんだろうか?あるいは元親としては死ぬ気で頑張ってほしいと思ってるけど、お願いする立場だから遠慮して「やりすぎないでください」と言い、しかしそこには「押すなよ、絶対押すなよ」的なニュアンスがあったりするのだろうか?


※ 「不可過」の使用例はないかと探したら杉田玄白の『養生七不可』に「頼壯實不可過房」というのがあった。
養生七不可 - Wikisource
「不可過房」とは「房をすごすべからず」で「房」とは「夫婦の交わり」のことだから、つまり「ヤリすぎるな」ってこと。もちろんそこから「適度のセックスを」と意訳することはできるけれども、戒めのニュアンスの方が強いと思われ。


※ ところで「不可過」で検索すると
読み方がわからず困ってます不可過御分別候これ... - 日本語 | Yahoo!知恵袋
がヒットし、回答者が俺の記事を参考にしている。参考として明らかに不適切なのでやめてもらいたい。そもそもこの部分本郷和人氏の『謎とき平清盛 (文春新書)』の引用部分なので、その旨を表記すべきだ。ただし、それで思い出したが武田信玄書状に「不可過御分別候」とある。
『謎とき平清盛』(本郷和人) - 国家鮟鱇
これを本郷氏は二通りに読めるとし、A「ご分別をあやまるべからず候」B「ご分別にすぐべからず候」の案を提示し、ここではB説を採らざるを得ないとする。俺はここでA案を支持した。なぜならこの「分別」とは、「兵を労る(いたわる)」ことではなくて「寛宥の御備」のことであり、「寛宥」とは「寛大な気持ちで罪過を許すこと」すなわち信長を許すことであり、それが「過御分別」だという意味だと思うからだ。本郷氏は「信長を許す」ということに一言も触れておらず、字のイメージから「寛宥」を「兵を労る」ことだと認識しているように思うのである。



すると「不可過御斗(計)候」が「過ったお計らいをするべからず」という意味の可能性もあるのではないだろうか?また「過ぎたお計らいをするべからず」の場合も、「よろしくお計らい下さい」ではなくて、文字通りに解釈して「やりすぎるな」という意味なのかもしれない。考えようによっては利三が不穏な行動を取りそうだと察知していた可能性さえ考えられるかもしれないのであり、ここは非常に重要なのではないだろうか。


そのあたりはもっと考えてみる必要があるのではないか?