『謎とき平清盛』(本郷和人)その5

その1
その2
その3
その4


再び「伊能文書」

 また巷説の如くんば、御手の衆、過半帰国の由、驚き入り候、おのおの兵を労るは勿論に候、然りといえども、此の節、信長滅亡の時刻、到来し候の処、唯今、寛宥の御備、労して功なく候か、「不可過御分別候」、猶ふと彼の口上に候、恐々謹言、


本郷和人氏の口語訳。

 聞くところによると、あなたの兵の大半が帰国したとのことで、びっくりしています。それぞれの大名家が兵をいたわるのは当然ですが、織田信長を滅亡に追いつめる好機が到来したいまこの時、そのような優しい気配りは、かえって労あるのみで功績を台無しにするものといえましょう。「不可過御分別」。なお、使者に口上を与えたのでお聞き下さい。恐々謹言。

本郷氏は「労して功なく候か」を「かえって労あるのみで功績を台無しにするものといえましょう」と訳している。それは問題ない。


だが「功」が意味することを本郷氏は見落としているのではないか?


たとえば「軍功」といえば、

戦いであげた手柄。武勲。軍功。

ぐんこう【軍功】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
という意味だ。


「手柄」とは、

1 人からほめられるような立派な働き。功績。功名。「―を立てる」「大―」 2 腕前。手並み。「されば―の精励、立ち合ひに見ゆべし」〈花伝・三〉

手柄 - 国語辞書 - goo辞書
という意味だ。


何が言いたいのかといえば、「功」は通常「何ものかのために働いて結果を出したときに使う言葉」だろうということだ。自分の利益のために働いて結果が出てもそれを「功」とは言わないのではないか?もちろん功を挙げた結果として恩賞や賞賛が期待できることを動機として働くということはあるけれど。


すなわち「功」と言うからには何かのために働くという意味が含まれていると考えられる。


では何のためにかといえば、「武田信玄のため」ということも一応考えられなくもないが、信玄と朝倉義景の間に主従関係があるわけでなし、万一、内心そう思っていたとしてもあからさまには言わないだろうから可能性はゼロに近い。


やはりこれも、「足利義昭のため」もしくは「仏教のため」ということであり、おそらく後者だろう。


この点でもA説を採った場合、

信玄の出兵は上洛を意図するものであり、信長との決戦を目的としている。朝倉義景浅井長政は、この解釈では完全な脇役で、信長を滅ぼす主役である信玄は義景を叱りとばせる。

と解釈する本郷氏の主張はおかしいと思わざるをえないのである。


(つづく)