フランス革命の精神

保守主義の父」といわれるエドマンド・バークは、アメリカ革命その他の運動を支持していたが、フランス革命は逆に批判した。これによって彼は多くの非難を浴びた。「おまえダブスタじゃん」と。しかし、彼にとってはそれは一貫したものだった。

 バークの眼には海峡の向こう側でジャコバン派のやったことは、アメリカの植民者がやったこと、すなわち「恣意的権力」から自由を創出するという仕事とはまるで逆のことであった。むしろそれがやったことは平等の名による均一化であり、自由の名によるニヒリズムであり、人民の名による絶対的で全面的な権力の樹立であった。アメリカ革命は現実の、生身の人間とそのしきたりや習慣のために自由を探求したのであった。しかしフランス革命は現実のもの、生きているもの ― 農民、ブルジョワジー、聖職者、貴族など ― よりも革命の指導者たちが教育、説得、そして必要とあれば強制とテロルによって作り出せると考えた種類の人間にはるかに大きな関心をもった。
保守主義 ― 夢と現実』(ロバート・ニスベット著 昭和堂


彼らは、どうしても宗教を風刺しなければならない事情があるから風刺するというよりも、宗教を風刺する自由があることを確認したいから風刺しているようにみえる。事件の後にあえてムハマンドの風刺画を載せたのは、まさそういうことでしょう。


フランス革命の精神によって育てられたフランス人にとって表現の自由」は手段ではなくて目的なんだと思う。

「許す」と「赦す」(その2)

「許す」と「赦す」の件(みんな間違っている) - アスペ日記

ですので、読売新聞の間違いは「すべては許される」と訳した段階ではなく、その訳文からニュアンスを推測したという段階です。

原文の表現について何かを言うためには原語の知識が必要だという、ごく当たり前のことです。*2


そうだろうか?「pardonné」とは「(罪を)ゆるす」という意味。読売記事が「その訳文からニュアンスを推測したという段階」とは

ムハンマドの風刺も「表現の自由」の枠内との見解を訴えたとみられる。

の部分。ここを関口涼子氏は、読売の記者は「pardonné」ではなくて「Permis」(許可)の意味で訳した考えているのでしょう。


しかし、そもそも読売記者は「許される」と書いてあるのを「許可」と誤解したのではない。これではフランス語を理解しているであろう読売記者が「pardonné」を「許可」と理解したということになってしまうではないか。実に不可解といわなければなるまい。


さて、読売記者が「(罪を)ゆるす」という意味だと正しく理解した上で「すべては許される」と訳し、『ムハンマドの風刺も「表現の自由」の枠内との見解を訴えたとみられる』と推測したということは、ありえないことであろうか?


否、十分ありえることである。実のところtakeda25氏も

しかし、pardonnéだからといって、“ムハンマドの風刺も「表現の自由」の枠内との見解を訴えたとみられる。” とは決して言えないかというと、そこは微妙なところだと思います。

と「微妙なところ」としながら、そう書いている。しかし、まさに読売記者はそのつもりで書いていると考えるのがもっとも筋が通っている。


つまり多くの人が読売記事を誤読しているのだ。


だが、なぜ誤読しているか?それは「表現の自由」と「許される」を結びつけたときに「許可される」という意味で理解してしまう人が少なからずいるからであろう(あと関口氏の記事を見たあとに読売記事を見ることで、色眼鏡で見てしまったということもあるだろうが)。


しかし、そもそも「表現の自由」は許可されるものではない


これは民主主義の根幹にかかわることである(そしてこの事件の根幹にもかかわる)。


我々は表現の自由などの権利を権力者から与えられているのではない。生まれながらに所有しているのである。これが「自然権」の考え。
自然権 - Wikipedia



決して政府その他が「許可」したから、その権利を保有するものではないのである。権力は「表現の自由」を許可しなければならないのではなくて、その権利を侵害してはならないのである。


したがって「すべては許される」とは、その生まれながら持っている権利を侵すことができないということになるでしょう。すなわち一般的に使用されるところの「表現の自由が許されている」というのも、実は「許す」と「赦す」を使いわけるのならば、表現の自由が赦されている(罪に問われない。罰せられない)」となるでしょう。「表現の自由が許可されている」ではないのである。


よって読売記事の『ムハンマドの風刺も「表現の自由」の枠内』というのも、ムハンマドの風刺も「罰してはならない、罰せられない固有の権利の枠内」という意味になると思いますね。