疑似科学批判であっても

 昨日の日記に、

マーチン・ガードナーの「奇妙な論理」も古い本ですから、「大陸移動説」と同じように現在からみると?な記述が多々ありますね。
例えば、ヨーグルトについて、「奇妙な論理」では「バターミルク以上の健康価値はないのだが、値段はバターミルクよりずっと高い」とあります。

 というコメントをいただきました。俺はそういうことに詳しくないので、ヨーグルトとバターミルクの健康価値はどちらが優れているのか知りませんけど、もし仮に、ガードナーの説が事実と違っていたとしても「古い本」だから仕方のないことだと思います。そのへんは当時どうであったかを念頭に入れるべきでしょう。しかし、世の中には、その当時の知識から見ても、へんてこりんなものがたくさんあります。しかもそれが「疑似科学批判」であっても、油断できないから世の中複雑です。

 昨日紹介した
ニセ科学」入門
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/nisekagaku_nyumon.html
 の末尾にある、参考文献のうち、何冊かは読んでいるのですけど、

[3] 人はなぜ騙されるのか (安斎育郎、朝日新聞社、1996)

 は、なんかそんな感じです。この先生の場合は「疑似科学」というよりも、「科学的でないもの」全般が気に入らないようです。

『何かうまくいかないことがある場合に、それを「運」「不運」のせいにするのではなく、なぜうまくいかなかったのかを徹底的に考察・検討することが、根本的な「開運」のために不可欠のことである。』

 とあります。どこがおかしいんだ?と思うかもしれませんけど、ただ、疑似科学を批判するのに、そこまで目くじら立てますか?って思ってしまいます。もちろん、「運」「不運」に極端に頼るのは問題です。そういう極端なケースを問題にするなら別にいいんですけど、この先生の場合そうではなさそうなんですよね。
 多くの人が「運が悪かった」なんてことは普通に言ってますよね。それはオカルトじゃあないです。実際同じような条件であっても、結果が違うなんてことはよくあります。それはもちろん「超科学的」な理由によるものではありません。様々な要因が重なってそうなったものです。その中には自分ではどうすることもできない原因もあります。(例えばたまたま取引先の担当者が昨日夫婦喧嘩して機嫌が悪かったので契約が不調に終ったとか)。そういうとき、人は「運が悪かった」といって慰めます。もちろんそういう場合でも、能力があれば、そういう「不運」を乗り越えることができますから、あきらめないで努力することは大切ですけどね。しかし、それは「不運」を乗り越えるということであって「運」「不運」がないということではありません。ということで、「運・不運は超常現象ではない」ということと、「運・不運のせいにするな」という話は全く別の話ではなかろうかと思われ、それは「非科学」とかの問題でなくて、「人生訓」とかそういった類の話ではなかろうかと思うわけです。

他にも、例えば、

 精神主義は、スポーツにつきものだ。ロサンゼルス・オリンピックの女子マラソンで、スイスのA選手が、ゴールまであと二〇〇メートルという所でよろよろと喘いでいた。文字通り這うようにしてゴールインしたその根性は人々に感動を与え、大いに称えられた。
 しかし、落ち着いて考えると、彼女のゴール前の哀れな姿は、健康管理に失敗した醜態以外の何物でもない。体育の本義に照らしても、称賛すべき何物もないだろう。力量を無視して神風特攻隊のごとく猛進する精神主義は、近代スポーツのあり方にも反するに相違ない。

 オリンピックに出たからには完走したいと思うことがおかしなことなのか?それに感動するのがおかしなことなのか?「精神主義」つうのは「体調が悪くても根性を出せば優勝できるはず」とかいうのが「精神主義」じゃないのか?という基本的な疑問があります。
 ついでに「落ち着いて考えると」、彼女が誰に迷惑をかけたわけでもないのに何でここまでボロカスに批判されなきゃならないのか甚だ疑問であり、余計なお世話であると思うわけですけど、そこまで批判したい動機には、「反精神主義」というものがあると思われ、その「反精神主義」は「精神主義」と正反対のようでいて同類じゃなかろうかなんて思ったりします。
(もちろん健康管理の面でストップさせるべきだったのではないかという意見もありましょうが、それは運営側の問題であって、選手にとってはたとえ死んでも構わないということだってありましょう。これも「精神主義」とは別ですね。)
 何にしろ「近代スポーツのあり方」と「科学」とはあまり関係のないことだと思います。それは思想の問題でしょう。「近代スポーツと科学」ならわかりますけどね。もしかしたら先生の中では関係があるのかもしれませんが。

 まあこれはほんの一部です。オーソドックスに『奇妙な論理』を読んだほうがいいでしょう。
(追記:これはあくまで俺がそう思うってだけですから。もちろん異論がある人もいるでしょうけど。)