疑似科学に走る人々

 もひとつついでにコメントを読んでつらつら考えてみるに、

「煽り」と「断定」は文章を面白くして、そういう文章を書く筆者にとっては「信者」を獲得する最良の手段ですが、読者としては「煽り」と「断定」のある文章には一歩引いて眉に唾を付けながら読めということですね。』

 「文章を面白く」するために、わざとそういうことをするってのはあるでしょうね。掴みはOKってやつで。何はともあれ、関心を持ってもらわなければ、本は買ってもらえないし、ブログは読んでもらえない。テレビは視聴率のためにオカルト番組を流す。わかっててわざとやっているんですね。 でも、そうでなく本気でやっているのも相当あるわけで、それが全体に占める割合は調べたわけじゃないからわからないけど、少なくないでしょうね。
 さらにややこしいのが、例の「自分は本気で信じているわけじゃない」ってやつで、見かけ上は一定の距離を保っているってのが、かなり多いってことで、ツッコミを入れると、そのような反論が返ってくるわけで、一番厄介なんですね。本物か偽物かはっきりさせることができないグレーゾーンというものは、確かにあって、そういうものを全否定するのは、それはそれで問題があるわけで、そういうことに言及することもあるだろうけど、そういう場合は慎重に取り上げるべきなのだけど、「自分は信じていたわけじゃない」という人の場合は、そのへんがいい加減で、体裁だけ「本当かどうかわからない」みたいなことを申し訳程度に書いておいて、それ以外は延々と妄説を垂れ流し、これは「陰謀論」によくあるパターンなんだけど、「本当かどうかわからない」のに憤慨したり、「大変な世の中だ」なんて嘆いたりしているんですね。マーチン・ガードナーは「まぎれもない疑似科学の連中の偏執的傾向があらわれる五つの特徴」として、

1.自分を天才だと考えている。
2.仲間たちを例外なく無知な大馬鹿者と考えている。
3.自分は不当にも迫害され差別されていると考えている。
4.もっとも偉大な科学者やもっとも確立されている理論に攻撃の的を絞りたいという脅迫観念がある。
5.複雑な専門用語を使って書く傾向がよく見られ、多くの場合、自分が勝手に創った用語や表現を駆使している。

としています。(『奇妙な論理』が手元にないので『きわどい科学』から引用)

 これは「疑似科学」とありますけど、広く「奇妙な論理全般」に通用するでしょう。もっとも俺も「4」なんか当てはまりそうで、そこらの小物ではなく大新聞とか進歩的知識人を攻撃したい衝動があるわけですけど、これはそういう意味でなく、「アインシュタイン」の「相対性理論」とかその分野の誰でも知ってる有名な理論を攻撃するけど、それ以外の重要だがあんまり有名でない理論には興味ないというような意味じゃないかと思われます(自信ないけど)。
 この手の言論はブログを巡回していると良く見かけます。といっても俺だって、そのようなダークサイドに落ち込む危険があるわけで(もうなってたりして…)、常に気をつけなけりゃいけないなと思う今日この頃。最近「奇妙な論理」の人だなあと思っていた人が「奇妙な論理」を読んでいたことを知って、読んでいながらなぜ軽率に「陰謀論」を唱えるんだと不思議に思い、でも俺だってそうかもねと考えて、自戒の意味を込めて書きますた。