「これが事実だとしたら」の例外

 この前書いた、「これが事実だとしたらとんでもないことだ」云々が予想外の反響だったんだけど、そこで「ただし例外もある」と書きました。それについて。
 例外というか、これが本来の使い方だと思うけど、例えばこの前のジェイコム株誤発注問題で、当初事実関係がわからなかったとき、「どこかの証券会社が間違って1円で約60万株の売り注文を出して、大半が売れてしまった」という憶測が流れて、「もしそれが事実なら」、1000億の損失が出るという観測がされたのだけど、これなんか「もしそれが事実なら」という仮定をしなければ、損失額の予想ができないわけで、それは株式市場に大きな影響があるのだから、そういう仮定は必要です。
 これが「もしAさんが盗みをしたというのが事実ならば、それは悪いことだ」なんていうのは、もう盗みをするのは悪いことだなんてのは「当り前」のことであって、わざわざ言うまでもないことなんで不必要なことであり、それでもそういうことを言うのは、「Aさんは悪いことをした」すなわち「盗みをした」ということが、半ば事実化しているということになるのではなかろうかと思うんです。でも「盗みをしたとしても悪いことではない」などという「当り前」ではないことを言うためならまた話は別になります。また、ある人が「Aさんは不細工だ」なんて言ったとして、「自分はAさんを不細工だとは思わないけど人間は顔じゃない。たとえAさんが不細工というのが事実だとしても、それはAさんの人間性にとって何の関係もないことだ」なんてのもありですよね。
 それから検証作業、例えば歴史史料に書かれていることが事実かなんていうときは、「これが事実だとしたら」という仮定で、その他の史料とつなぎ合わせて、矛盾が出てこないか検証していくわけで、これもありです。
 そう考えていくと、「不確実な情報を基にした」「これが事実だとしたらとんでもないことだ」とか「これが事実だとしたら許せない」とか、そういう意味の「これが事実だとしたら」の使い方の方がむしろ特殊な事例かもしれませんね。