「うつろ舟」の新史料発見(2)

異国美女漂着「うつろ舟」奇談 日立の旧家に新史料:茨城新聞ニュース

田中教授によると、うつろ舟奇談を伝える史料の発見はこれまで約10件。本県では2010年に水戸市内の書画収集家が京都で入手した史料が見つかった。また、今回の史料発見後、田中教授は長野県の古書収集家が所有していた別の史料を発見。絵に関して日立の史料と共通点が多く見られるが、事件現場の地名については従来の史料にある「常陸の国」でなく「房州の湊」と書いてあるという。

前の記事を書くために「うつろ舟」について久しぶりにネットで調べてみたところ、茨城新聞記事にある「長野県の古書収集家」自身がネット上に詳細を書いていることを知った。
江戸時代の浮世絵にUFO!?うつろ舟の謎 (1) | やじきた.com - 江戸の怪談、奇談、ふしぎ話。古文書から拾い集めたアヤシイ話をご紹介。


これはすごい。



ところで、こちらの「新史料」について考える前に駒井乗邨の「鶯宿雑記」について。この史料についてはウィキペディアなどでも紹介されているので知ってはいたが詳細は知らなかったのだが、この記事ではじめて知った。「うつろ舟関係で最も古いとされる資料」だそうだ。
江戸時代の浮世絵にUFO!?うつろ舟の謎 (3) | やじきた.com - 江戸の怪談、奇談、ふしぎ話。古文書から拾い集めたアヤシイ話をご紹介。

享和三年亥八月二日常陸国鹿嶋郡阿久津浦小笠原越中守様知行所より訴出候に付早速見届に参候処右漂流船其外一向に相分り不候に付
太夫ェ遺候由之紅毛通じも参り候へ共相分り不申候由ウツロ船能内年能此廿一二才ニ相見ェ候女一人乗至て美女之船の内に菓子清水も沢山に有之
喰物肉漬能様成品是又沢山に有之候由白き箱一ツ持是ハ一向に見せ不申右の箱身を放さす無理に見可申と候ヘハ甚怒候由
船惣朱塗窓ハひいとろ之大きさ建八間余横十間余
右ハ予御徒頭にて江戸在勤のセつ能事之江戸にて分かり兼長崎へ被遣と聞しか其の後いつれの国の人か分かりや聞かさりし

日付が「享和三年八月二日」になっているけれど、これは「小笠原越中守様知行所より訴出候に付早速見届に参候処」の日付であり、年初にあった事件の後日譚ではないかと思われ。


この史料は「兎園小説」や「梅の塵」と比べてあまり注目されていないけれど実に興味深い史料だ。


俺はこの記事は「事実」ではないかという気になってしまう(もちろん「うつろ舟」が事実なのではなくて調査団が派遣されたということがだが)。


もしそうだとすると「事件」から半年ほど後にはこの「事件」が一部では話題になっていたということになる。また小笠原越中守知行所から訴えがあったということになる。そして小笠原越中守は鹿嶋郡阿久津浦を知行していたということになる。


しかし、あまり注目されていないということは重大な問題点があるということなのかもしれないが、俺はそれが何だかわからない。小笠原越中守は実在したが常陸の領地は内陸の「河内郡」にあり沿海には無いという。それがネックになっているのかもしれない。だが「鹿嶋郡阿久津浦」と具体的に書いているのはやはり気になる。実際に知行地があったのかもしれない。


なお「あくつ」とは

圷(あくつ)とは、川沿いの低湿地のこと。対義語は塙(はなわ)。

転じて日本の地名、苗字となる。苗字としては茨城県に非常に多く分布している。同音異字苗字に阿久津。

圷とは (アクツとは) [単語記事] - ニコニコ大百科


(つづく)


※ あと女性の年齢が「廿一二才」というのは「兎園小説」の日付が2月22日と「2」が連なっていることを考えると、この時点で2月22日説があった可能性があるのではないかと思う。
「女性の年齢は22才」→「何で正確にわかるんだよ?」→「えーっとおよそ22才くらいだと…」→「わかった21〜22才ってことだな」みたいな。