関越道バス事故関連注目記事抜粋

Yahoo!ニュースより

 取材に応じた2人は、未明までの運転業務を終え事故のことを知って同社まで駆けつけたという。運行管理については、「社長は運転手思いの人。無理な運転を強要されたことはない」と口をそろえた。

 2人ともに社歴が浅いうえ、運転手同士が顔を合わす機会は少ないといい、「事故を起こした運転手のことは分からない」と答えた。また、同社では「過去に大きい事故を起こしたなんて聞いたことはない」と戸惑いを隠さなかった。

 同社は正社員が5、6人で、繁忙期などで運転手が足りないときは臨時に雇うという。小さな4階建てビルの一室に会社事務所があり、看板はかかっていない。所有するバスを止める駐車場も他の運行会社などともに使っている。

 ツアーは同社が約6年前から企画し、インターネットなどで客を募集。普段は別のバス会社に運行を依頼していたが、大型連休などの繁忙期には増便し、針生エキスプレスには約1年前から増便分の運行を委託していたという。

 国土交通省によると、高速ツアーバスや施設送迎バスを運行する貸し切りバス事業者は00年の規制緩和後、99年度の2336業者から10年度は4492 業者に増えた。このうち何社が高速ツアーバスを運行するか、国交省は「旅行業者と個別に運送契約を結んでおり正確に把握できない」と話すが、業界団体によると、05年に約23万人だった高速ツアーバス利用者は、5年後の10年に600万人超となるなど急成長した。

 石川県のバス会社幹部は「規制緩和後はバスを5台持って責任者を置けば誰でも参入できる。そのため過当な料金競争が起こり、運転手に過酷な労働条件を強 いている」と明かす。金沢−東京間を夜間運行で往復すれば、日中の休憩を挟んで2泊3日。大型連休など繁忙期には人手が足りず、長距離運転に慣れない運転手に依頼することもあったという。

 また、こうしたツアーバス道路運送法上、原則として発着する都道府県のバス会社が運行しなければならず、今回も大阪府の旅行会社が千葉県のバス会社へ運行を委託していた。

定期の路線バス会社の高速バスが道路運送法の適用を受けるのに対し、ツアーバスは旅行業法が適用される。

 国交省は今月から、ツアーバスにも路線バスと同じ道路運送法を適用するよう方針転換。

国土交通省は「高速ツアーバス」を企画する旅行会社にも、道路運送法に基づくバス事業の許可を取得するよう指導する方針を固め、5月中にも関係者に通知を出す。

 「休憩中に突っ伏して寝ていた」「車内アナウンスがあやふやだった」。運転手の居眠り運転の兆候だったのか、負傷した大学生(22)は別の乗客からこんな話を聞いた。大学生の席のシートベルトは壊れて装着できなかった。

 ハーヴェスト社によると、バスは運行指示書に記載された上信越道経由ではなく、北陸道から長岡ジャンクション経由のルートを通っていた。なぜ河野運転手はこのルートを選んだのか。県警は過去の運転時間や運行距離などが確認できる「タコグラフ」や「カーナビゲーション」を押収、解析を進めている。

 県警などが特に注目しているのが、運転手の勤務実態。運転手は事故前日の4月28日朝、JR金沢駅に到着。午前8時ごろ、石川県白山市のホテルにチェックインし、午後4時半にチェックアウトした。

 再び金沢駅で乗客を乗せ、出発したのは午後10時10分。ホテルの滞在時間は8時間余りだった。県警幹部は「居眠り運転の要因は、仮眠を取らないなど本人が招いたものなのか、無理な勤務実態、管理の不行き届きが原因か。今の段階では分からない」と話す。

 県警はこれまでに重軽傷を負った39人のうち22人から話を聴いた。そのうちの一人は、「運転手はカーナビの画面を見たり、急ブレーキをかけたりして心配だった」と説明したという。

 運行を委託した旅行会社「ハーヴェストホールディングス」(大阪府豊中市)によると、運行計画では北陸道から上越ジャンクション(JCT)で上信越道に 入ることになっていた。だがバスは北陸道を東進、長岡JCTから関越道に入り約35キロ遠回りした。事故現場は上信越道との合流点の600メートル手前。

 貸し切りバスの場合、運転手が渋滞などでルートを変更することがある。だが東日本高速道路によると当時、上信越道に渋滞などはなく、上越JCTを誤って 通り過ぎた可能性もある。ハ社によると、陸援隊の針生裕美秀(はりう・ゆみひで)社長も「(なぜルートを変えたか)分からない」と話しているという。

 貸し切りバスに関する国の基準では、連続運転時間は4時間を超えてはならない。県警によると、複数の乗客が調べに対し、金沢市を出発した4月28日夜か ら事故が起きた29日未明にかけて「高速道のサービスエリアには2、3回立ち寄ったが、どのサービスエリアかは覚えていない」と話しているという。

 同省の有識者検討会は4月、ツアーバスも実態は定時・定路線での運行であり、高速乗り合いバス並みの規制が必要として、ツアーバスと乗り合いバスを一本化する制度改正を行うよう求める報告書をまとめており、同省は基本的にこれに沿って改革を進める。

 入院中の牧出光さんの父親によると、牧出さんは乗車後、運転手に「シートベルトが壊れている」と訴えた。運転手は「バスでシートベルトをする人はいないですよ」と答えたという。しかし、不安に思った牧出さんは直してもらい、走行時は着用し続けた。父親は「娘は股関節を脱臼したが、シートベルトのおかげで 飛ばされずに助かったと思う」と話した。

 捜査本部は重軽傷を負った乗客のうち20人あまりから事情を聴いており、大半が2、3回の休憩を記憶しているという。また重傷を負った女性(23)は「(河野運転手は)よくカーナビの画面を見たり、急ブレーキをかけたりしていた」と話している。

 バスは4月28日夜に金沢駅を出発し、29日午前4時40分ごろに事故は発生。バスを手配した旅行代理店側の「2時間に1回」という指示通りに休憩を 取ったとみられるが、乗客の一部は河野運転手の車内アナウンスがあやふやな状態で、休憩中には突っ伏して寝ていたと証言している。

 旅行会社によると、河野容疑者は28日午前8時から午後4時半までJR金沢駅近くのホテルに滞在。午後10時10分に同駅を出発して千葉県浦安市の東京 ディズニーリゾートへ向かった。県警の調べに対し「ホテルでは寝たり起きたりを繰り返していた。チェックアウト後は食事をした」と供述。高速道走行中は 「1回15分の休憩を3回取った」といい、乗客の証言とも一致したが、休んだ場所や乗り入れたインターチェンジ名は「忘れた」という。

 県警によると、河野容疑者は元中国籍で93年に来日し、翌年に日本国籍を取得したと供述。大型2種免許は09年に取得した。

 群馬県警によると、自動車運転過失致死傷容疑で逮捕された河野化山(こうの・かざん)容疑者(43)は元中国籍で93年12月に来日、94年に日本国籍を取得したと供述している。通常の日常会話はできるが、難しい日本語は理解できないといい、取り調べは中国語通訳を通じて行っている。中国残留孤児の家族という情報もある。

 住民基本台帳上の自宅は千葉市中央区の住宅街にある。3階建ての1、2階は中国料理店。だが県警によると、現在の居住実態は不明。近所の女性は「あいさつをしてくれておとなしい人だった」と話す。

 この女性らによると、以前は妻が料理店を切り盛りしていた。だが現在は店を賃貸しているとみられるという。

 同店と取引がある千葉県内の男性によると、河野容疑者は自身の職業を「バスを所有し旅行会社も経営しているオーナー」と説明していた。この男性は事故後初めて「バスの運転手」との報道に接し、驚いたという。

 河野容疑者が勤めるバス運行会社「陸援隊」の針生裕美秀(はりう・ゆみひで)社長によると、バス運行歴は約4年。河野容疑者を知る千葉県内の別のバス会社社長は「陸援隊は普段は近距離の輸送が多かったはずで、バスの稼働率も高いように見えなかった。長距離や夜行バスの運転に慣れていなかったのではないか」と話した。

 4月29日午前4時40分の事故発生直後、河野化山容疑者(43)は、バス会社「陸援隊」の針生裕美秀社長(55)に携帯電話で報告した。針生社長によると、河野容疑者はバス運転経験の中で、大きな事故は一度もなかったという。

 群馬県警によると、河野容疑者は中国残留孤児の子弟とみられ、平成5年に来日、翌6年に日本国籍を取得したと供述。日本語は不自由で、通訳を介して取り 調べが行われているという。旅客用の大型2種免許は21年7月に取得していた。河野容疑者を知る人によると、妻も中国人で、娘ら子供にも恵まれていたという。

 妻は千葉市内で中華料理店を開いていたが、河野容疑者本人が店に立つことはなく、近隣女性は「(河野容疑者は)『(店とは)別の仕事をしている』と(妻が)話していた」と話す。

 針生社長は事故直後、同社の主な業務内容について「つい最近まで(成田空港−東京都内間などの)インバウンド(外国人旅行者の受け入れ)の仕事をしていた」と報道陣に述べた。普段、近距離の輸送にあたっていた河野容疑者が、片道500キロ以上に及ぶ今回の走行で疲労を蓄積させた可能性もある。

事故については「ゴールデンウイークで増便し、普段あまり取引しない会社に発注したことに原因がある」と述べた。