堂島米市場の開設

必死でコメ先物取引に反対する全中の本音:「伝統の否定」と「非合理性の死守」(Letter from Yochomachi)http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C1084425330/E20060204214105/index.html

これが価格安定に寄与したことは、誰もが認めること。

江戸時代前半、人口の増加、特に都市人口の増加により米価は高安を繰り返しながら上昇していった。
商人はそれに目をつけて、大名に手付金を払って買い取る約束をして、商品はそのまま蔵屋敷に置いておいて、高くなってから転売し、利ざやを稼いだ。それによって仮需要が発生し米の値段はさらに値上がりする。幕府はこのやり方(不実商)を取り締まり、米価の引き下げにつとめた。この当時は米価と諸物価が連動しており、米価を下げることは、すなわち物価の安定に寄与した。
ところが、次第に米価と諸物価は連動しなくなってきた。
吉宗の時代も風水害等によって米価は高騰し、吉宗は米価安定のため不実商を厳しく取り締まった。ところが今度は逆に米価は安値に転じ、しかも諸物価は値下がりしないという問題が生じた(米価安の諸色高)。米価だけが下がると、それを売って生活必需品を賄う武士と農民は深刻な事態となる。
そこで今までは米価安定のため厳しく取り締まっていた米の延べ取引を緩和して、さらに幕府公認となり、享保15年大坂堂島に米先物市場をひらいた。仮需要によって米価を引き上げるためである。


参考文献『大岡越前守忠相』(大石慎三郎岩波新書
古本屋で50円で買った1974年発行の本だけど、今でも通説は変化していないと思う(たぶん)。