神の見えざる手

キャリング・キャパシティの限界(内田樹の研究室)
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トンデモ視している人もいるようだけど、たしかにトンデモ要素はあります。
どこが?っていうと、生物学的に解釈しているように見えるところですね。
まあ人間も動物の一種だから、「神」から見たら同じに見えるかもしれないので、一概におかしいとも言えないかもしれないけど、動物の本能による行動と人間の行動は分けたほうが良かろうと思います。


で、この話は「歴史人口学」という分野に属し、速水融氏の『歴史人口学で見た日本』(文春新書)という本が2001年に出ています。


手元にこの本がないので、記憶違いがあるかもしれないけど、そこんとこよろしく。
江戸時代、戦国の世で荒れ果てていた農地が復興した。また幕府や諸藩は新田開発を奨励した。農地開発により次男・三男が独立して一家を立てることができる。そのため世帯が増える。また、田畑を開発すれば、それが自分のものになるのだから、人は一生懸命働く。大家族制で家長のために働くよりも、小家族で血のつながりが濃い者を使ったほうが、よく働くので、家は細分化し、子をたくさん産んだほうが収入も多い。だから新田開発が盛んであったころは人口が爆発的に増加した。


ところが、あらかた土地を開発してしまうと、これ以上新しい田畑は増えない。子供が分割して相続すれば、土地は細分化し、生活水準が落ちてしまう。で、長男が土地を全て相続することになる。といって長男が死んでしまうと家が断絶してしまうので、何人かは子供を産む。が、長男が成人し家を継げば、その必要もなくなる。その他は養子に行くあてがなければ、長男の下で働くことになる。あるいは、都市に出て奉公人になり、そこで一生を終える。都市は圧倒的に男が多く、独身者の占める割合が高く、また都市に居住するものは寿命も短かった。女子の場合は奉公していると婚期が遅れる。都市の人口がそれでも減らないのは、地方から次々に補充されてくるからである。


このような仕組みで、全体では人口は安定していく。と、まあこんな具合だったと思う。
これを「無意識」と呼ぶべきか、「意識的」と呼ぶべきか、「神の見えざる手」と呼ぶべきか。それは知らない。

歴史人口学で見た日本 (文春新書)

歴史人口学で見た日本 (文春新書)