一人一石説(その2)

自分でもすっかり忘れていたけど検索してたら前にも書いたネタだった。
石(単位) - 国家鮟鱇
でも続ける。


Googleで検索すれば、この説を載せているところは山ほどある。
「一石 一反 年間」
⇒「一石 一人 一年


ただし「一年間に消費する量」の部分は同じだが、「逆説」では「子供や大人や老人も含めた平均値」とあるところが、「成人1人」(石 (単位) - Wikipedia)となっているものが多い。この違いは大きく、全く違った数値になってしまうだろう。なお少数ではあるが「兵士一人」と書いているものもある。男と女で食べる量が違うなら、これも数値が変わってくるだろう。


俺は井沢氏に疑念を抱くようになったので、これについても調べてみようと思った。で、図書館で百科事典や単位に関する本を見たのだが、

一石というのは一人の人間が一年(三百六十日)に食べる米の量を基準にして定めた単位なのだ。

なんて話が書いてあるものを見つけることができなかったのである。このことについて書いた信頼できる書籍は果たして存在するのだろうか?


こういう話ならある。『歴史人口学で見た日本』(速水融)によれば、大正年間に吉田東伍という学者が江戸時代初期の人口を推計するために、まず江戸時代中後期に注目した。江戸時代中後期に行われた検地の結果は全国でおよそ三千万石。その時期の人口が幕府の調査によれば2500〜2700万人。これは庶民が対象なので武士等を含めれば約3000万人。3000万石で3000万人だから一人一石の関係となる。太閤検地は1800万石なので当時の人口は1800万人だと推測したということ。


ただし、ここで注意しなければならないのは、この石高は米の生産量ではなくて耕地を石換算したものだということ。また当然ながら皆が平等に米を食べたわけではないということ。つまりここでいう3000万石で3000万人とは「一人の人間が一年(三百六十日)に食べる米の量」が一石だという意味ではない。「3000万石のときに3000万の人がいた」という話である。


当時の米の生産量は調べたけれどよくわからない。また生産された米は消費されたに違いないが、米は酒などの用途にも使用されることに留意しなければならない。


そもそも米の消費量といっても、それが何を意味するのか曖昧である。米の生産量=消費量と人口がわかれば、当時の「一人当たりの消費量」はわかる。しかし単位としての「石」が一人一石という場合は「一人が必要な量」という意味になるであろう。しかしその「一人が必要な量」というのも、「米だけを食べて生きていくのに必要な量」なのか、「当時の食習慣ではこれくらいは食べたいとされている量」なのか、あるいはその他の意味なのか、まっったくわからない。


なおウィキペディアには

日本では、1食に米1合、1日3合がおおむね成人一人の消費量とされているので、1石は成人1人が1年間に消費する量にほぼ等しいと見なされ、示準として換算されてきた(1000合/1日3合で333日分)。

石 (単位) - Wikipedia
と書いているけれど、「昼食」の項には

古来、日本において食事は朝夕の二回だったが、鎌倉時代末期から室町時代初期のころから、貨幣経済の浸透、都市生活民の集積により、都市肉体労働者が増え、朝食と夕食だけでは、途中で労働に耐えられなくなってきたことから、正午頃に食事を摂るようになった。農作業などに従事する人は激しく体力を使うため、昼食と朝食、夕食の間にさらに軽い食事をすることを小昼(こひる、こびる)と呼ぶ地方がある。

昼食 - Wikipedia
とある。1日二食のときもあれば、三食、四食の場合もある。非常に疑わしい。


(つづく)