一人一石説(その1)

近頃流行りのニセ歴史。今度は
日本の女性が男の後ろを歩くのは斬られないため!?ホントか? - Togetterまとめ
なんて話もあるそうだ。「日本の女性が男の後ろを歩くのは斬られないため」という説があること自体が俺は初耳。


で、俺も便乗して前々から疑問に思っていることを。それが「一人一石説」。


これをはじめて知ったのは週刊ポストに連載されている井沢元彦の『逆説の日本史』を読んだとき。

 これは偶然の一致だろうか。実は違う。一石というのは一人の人間が一年(三百六十日)に食べる米の量を基準にして定めた単位なのだ。もちろん働き盛りの若者はもっと食べるだろうが、あくまで子供や大人や老人も含めた平均値ということだ。そして、これが人間中心の単位ということでもある。
『逆説の日本史(1)古代黎明編』(小学館

あとでまた触れるけれど、これを井沢氏は「予備知識」として紹介している。「予備知識」というからには、これは定説を覆す新説などではなく普通の常識であって、ド素人の俺は知らなかったけれど詳しい人なら知っていることなんだろうと思っていた。そこに何の疑問も抱かなかった。しかしやがて井沢元彦という人物について疑念が湧いてきた。


俺は最初は井沢氏の「逆説」について、正統な歴史学の側からはトンデモだと言われているけれど、定説に反することを主張すれば批判があるのは当然であって「逆説」が結果的に間違っていたとしても、定説を無批判に受け入れるのではなくて、違った視点で見るのは良いことだろうと思っていた。批判する側がトンデモだとしか言わず具体的な批判が目に入らなかったというのも大いに影響があったように思う。


ネットを始めると、やはりそこにもトンデモだというだけの批判が多かったけれども、ちゃんと具体的な批判をしている人も少数ながらいた。そしてそれを読んでみると確かに「逆説」は単に間違っているだけではなくて「ひどい」としか言いようのないものに思えてきた。何がひどいっって、たとえば他人の著作を引用するときに途中を略す。これは普通にあることだけれど、略したことによっって違っった意味に受け取れてしまうみたいなことをやっている。井沢氏は『朝日新聞の正義』という本を書いてこの手の歪曲を批判しているのだが、本人がそれやってるのだ。


井沢氏については書こうと思えばいくらでも書けるけれど長くなるので略。とにかくひどいのである。すると肯定派にしろ否定派にしろ「オオクニヌシは怨霊だった」とか「天智天皇は暗殺された」とか、そういうことが注目されているけれども、そこまで注目されていない、さりげなく書かれていることも疑わしくなってくるのである。


手品師がオーバーアクションで観客の目を惹きつけている間にこっそり種をしかけているがごとく、詐欺師が疑り深い人を騙すためにわざと稚拙な話をして注意力をそちらに向かせ、その陰で巧妙なトラップを仕掛けるがごとく、いつの間にか「ニセ歴史」を仕込まれているかもしれない。


(長くなったので続く)