これはひどい

足利義教が義持の後継者になった経緯について。
足利義教 - Wikipedia


脚注に、

くじ引きで三宝満済らが事前に仕組んだ不正であるとする説田中義成『足利時代史』、佐々木銀弥『室町幕府』、本郷和人『人物を読む 日本中世史 頼朝から信長へ』(講談社選書メチエ、2006年) ISBN 4-06-258361-5もあるが、史料の根拠はない。

とある。その『人物を読む 日本中世史 頼朝から信長へ』から引用。

 すると、ある研究者は『建内記』より『満済准后日記』を用いるべきだと説き、ある研究者は『満済准后日記』にくじで義円に決まったと書いてあるのに従わないなら、もはや実証史学ではなくなる、と力説する。そんなつまらないこと言われてもなあ…。反論くらいすぐに想定できるでしょうに。史料操作って知ってますか?日記って、本当のことしか書きませんか?あなたには「墓場までもってく秘密」はないですか?(いえママ、ぼくにはそんなもの、ありませんとも)等々。でも、そんな低レベルな議論はしたくないよなあ。

一般読者向けには堅苦しい文章よりも、このようなくだけた文章が良いということなのかもしれない。だが『満済准后日記』を採用する研究者をこのように小馬鹿にした文章は門外漢の俺が見ても非常に不愉快に感じる。


だが、それだけではない。俺はこれを読んで、「あの人」と良く似ていると思った。あの人とは「聖徳太子は実在しない」の大山誠一氏である。大山氏の聖徳太子実在を主張する人に対する批判も、これと良く似た人を小馬鹿にしたところがある。


あともう一人、似たことを言ってる人を俺は知っている。『逆説の日本史』の井沢元彦氏だ。
納得できない『逆説の日本史』(1)より孫引き

(略)古代の、重要な機関はすべて国家が握っていて、ジャーナリズムも民間の研究機関もない時代に作られた「史書」に、当事者の天武のことが正確に書いてあると考えたら、そう考える方がおかしいだろう。
 これは、学問以前の、人間としての常識ではないだろうか。
 ところが、学者先生の中には、こういう常識がわからず、あくまで「書紀」を信ずるという人が多いのである。それは「古い史料の方が、より正確である」という歴史学の基本原則(?)を、なんとかの一つ覚えのように繰り返すからだ。

 (P.221〜222)

なお井沢氏の主張に対する反論は
納得できない『逆説の日本史』(2)
でなされている。そもそも「史料批判」は歴史学の常識である。とすれば、そんなことはわかりきった上で、

「書紀の記事を否定する力は、後世の書にはないとみるのが史学研究の常識である」

と主張しているのだと考えるべきである。


さらに言えば「○○を鵜呑みにするのか」というのは陰謀論者の典型的な主張である。鵜呑みにしている人も中にはいるかもしれないが、少なくとも専門家はそれなりに検証した上で「○○は信用できる」という結論を出していると考えるべきだろう。もちろん、だからといってその結論が正しいとは限らないが。


「低レベル」なのはどっちだという気分になる。



で、実際のところどうなのよ?ってことで調べてみることにする。