満済は嘘つきか?

『人物を読む 日本中世史―頼朝から信長へ』(講談社 2006)より。

 すると、ある研究者は『建内記』より『満済准后日記』を用いるべきだと説き、ある研究者は『満済准后日記』にくじで義円に決まったと書いてあるのに従わないなら、もはや実証史学ではなくなる、と力説する。そんなつまらないこと言われてもなあ…。反論くらいすぐに想定できるでしょうに。史料操作って知ってますか?日記って、本当のことしか書きませんか?あなたには「墓場までもってく秘密」はないですか?(いえママ、ぼくにはそんなもの、ありませんとも)等々。でも、そんな低レベルな議論はしたくないよなあ。

今谷明氏の『籤引き将軍足利義教』(講談社 2003)には以下の説明がある。

 次に、抽籤方法については、『建内記』によると、管領満家が二度とり、さらに別人に引かせ、都合三度引いたとあって『満済准后日記』と相違しているが、臼井氏は、

  これは満済は鬮を書いた当事者であり、開いた時も其場に居った責任者であるから、満済の記事が正しいとすべきである。

と、満済の日記をより重視すべきことを指摘され、瀬田勝哉氏も、

  『満』『建』両史料間にみる齟齬については、鬮を作った当事者たる満済と、伝聞者の位置を出ない時房とでは差があり、私も臼井氏同様基本的には『満』の記事を重視する。


と、臼井説に賛意を表しておられる。従うべきであろう。

満済准后日記』『建内記』共に歴史学で「一次史料」と呼ばれるものだ。ただし満済は当事者であり、『建内記』の著者の万里小路時房は伝聞を聞いて日記に書いたにすぎない。故に『満済准后日記』の方を重視すべきである。尤もな話だ。


ただし、それは彼らが見たり聞いたりしたことを正確に日記に記したとした場合だ。満済が嘘つきだとすれば話は違ってくる。それにも一理ある。


では満済は嘘つきなのか?


ここで考えなければならないと思うのは一口に「嘘つき」といっても、日常的に嘘をつき続けている人もいれば、普段は正直者だがたまに嘘をつく人もいれば、生涯に一度だけ嘘をついただけの人もいるということ。


もし、満済が「嘘つき」だとして、どのタイプに属するのか?


俺は『満済准后日記』は信用度の高い史料だとみなされていると認識している。なぜ信用度が高いのかといえば、一次史料であることが第一の理由であろうが、それ以外にも事実と異なるこ記述や、矛盾した記述が少ないからではないだろうか?
(なお正確に言えば「少ない」と俺が書くのは、俺が無知だからであり、本当は明確な「嘘」は一件も見つかっていないかもしれない)。


なぜこれが重要なのかと言えば、「籤引き」の記事は、満済が嘘の常習犯であればあるほど嘘の可能性が高いということが一つ。また満済が滅多に嘘を付かない場合「籤引き」の記事がもし嘘だとすれば、それは余程重要な嘘だという推理が成り立つこと、ましてや他に嘘がない場合においては、とてつもない嘘を付いたということになるだろうと考えられるからだ。


それを考慮せずに「将軍選定に関する嘘なんだから、とてつもない嘘に決まっている」と考えるのは早計であろう。それについてはもっと考えてみる必要がある。


(つづく)