将軍足利義教は八百長で決まったのか?(その2)

一口に「本当のことを書かない」と言っても少なくとも二種類ある。一つは「事実でないことを事実であるかのように書く」ということ。もう一つは「正しい理解に必要な情報を隠蔽すること」である。


証券投資で「絶対に値上がりします」と言って勧誘する断定的判断の提供のは前者であり、リスクがあるのにリスクを説明しないのが後者である。これらのことをすれば裁判で不利な判決が出る可能性が高い。しかし、証券投資などは別として、一般的には前者は「嘘」とされるが、後者は「そっちが聞かなかったから言わなかったまでだ」などと開き直るケースも多い。


明白な嘘を書いた場合は逃げ切るのは困難だが、あらかじめ具体的に何を説明しなければならないかを決めてなかった場合は言い逃れが可能な場合もあるのだ。


満済八百長をしていたとしても日記に「八百長をしました」などと書かないのは当然である。と、同時に満済は「八百長をしました」と書かなければ、それで十分なはずである。わざわざ「嘘」を書く必要はない。


「くじを三回引いたら三回とも義円と出た」についてはどうだろうか?たとえ日記にそう書いたとしても、それだけで八百長と決め付けるわけにはいかない。「ただの偶然だ」とか「八幡神の思し召しだ」と言い逃れることは可能だろう。


だが、それで多くの人が納得したとしても、本郷氏のような「賢い人」がいて、「八百長に決まってる」としつこく追求するかもしれない。


それを避けるために満済は日記にそれを記さなかったのか?


だが、そのことは建内記』の著者である万里小路時房という「部外者」も知っていることなのだ。日記に記さなかったからといって隠蔽できるものではない。


そして、何より本郷氏は

くじ引き以前からよく知られていた。今の幕府政治に必要なのは、強烈なリーダーシップだ。諸大名はそう判断して彼を担ぐことに決し、くじ引きの茶番を整えたのであろう。

と主張しているのだ!


すなわち、「くじを三回引いたら三回とも義円と出た」という茶番は、それを世間に知らしめることに意義があるのだ。


なのに、なぜ満済は日記にそのことを記さなかったのか?

史料操作って知ってますか?日記って、本当のことしか書きませんか?

繰り返すが、満済は「八百長をしました」と日記に書かなければいいだけのことだ。なぜ「くじを三回引いたら三回とも義円と出た」ことまで隠蔽しなければならないんですか?八百長であれそれは表面的には「事実」なんでしょう。その「事実」を隠蔽する理由が俺にはさっぱりわかりませんね。


しかも、それだけじゃない。


何と満済は「事実」を隠蔽するだけでなく、事実でないことを事実として日記に書いているのである(八百長が事実だとしたらの話だが)。


満済准后日記』においては、くじを一回しか引いていないのである。


(つづく)