以上の理由により、八百長など万に一つもありえない。それどころか、この話は八百長陰謀論者の考えているような話ですらない。
義円(足利義教)は「凶」であり、管領は望んでいなかったが、八幡神が頑なに義円を選ぶので受け入れざるをえなかったという話だ。もちろん実際にあった出来事でないことは疑いない。
しかし、まだ問題は残る。なぜ、このような「デマ」が流通したのかということだ。
この話は後世に出来た伝説ではない。『建内記』の応永三十五年正月十八日条に書かれたものであり、クジ引きのあった翌日だ。本当に十八日に書かれたのかは疑えるかもしれないけれど、それでもほぼ同時期に書かれたと考えて間違いないだろう。
なぜ、このような早い時期に「デマ」が出来たのか?
これに関しては、今までのようにはいかない。『建内記』にそれを推理できるような記述が何もないからだ。
理由はわからないとするのが最も無難な答えだろう。
しかし、それじゃ面白くないので、もう少し掘り下げてみる。
(つづく)