将軍足利義教は八百長で決まったのか?(その13)

2012-10-26の続き

「くじを三回引いたら三回とも義円と出た」という情報を万里小路時房に伝えたのは誰か?可能性としては、


1、武家伝奏の勧修寺経興が幕府からの情報をそのまま伝えた
2、武家伝奏の勧修寺経興が創作した
3、武家伝奏からの情報のように見えるけれど、他からの情報によって補完したもの
4、万里小路時房の創作


ということになるだろう。


しかし、4の時房の創作というのはまず有り得ない。なぜなら時房はこの話の「真意」を理解している形跡がないから。理解していたら「おそろしい」とか何とかの評価を書くのではないか。時房はこの情報を事実と信じていたと思われる。


1もまず考えられない。幕府にとって都合の悪いことだからだ。「都合の悪いこと」というのは俺の考えであって、学者の言うように義教を権威付けるものだという意見もあるだろうが、その場合は三回目のクジを「他人」が引くという不自然さをどう説明するのか?ただし「都合の悪いこと」だとしても幕府の内部事情によっては全く可能性が無いわけでもないようにも思える。


残るは2と3だが、勧修寺経興が創作したとするのは無理があるように思う。ということで3の武家伝奏からの情報のように見えるけれど、他からの情報によって補完したもの」ということになると俺は思うが、正直自信があるわけではない。しかし一番可能性が高いように思うのでこの線で考えてみる。


(つづく)