将軍足利義教は八百長で決まったのか?(その14)

「くじを三回引いたら三回とも義円と出た」という情報は、状況から考えて「町の噂」のようなものではないだろう。一方幕府からのものだとも考えにくい。とすれば、万里小路時房の属する公家社会で生じた可能性が高いのではないかと思われる。


ところで俺の考えるこの話の真意は「義円は凶」だ。そのような話が公家社会で生じるということがあるだろうか?


青蓮院義円は応永元年生まれだから35歳。全く未知の人物というわけではないだろう。

応永元年(1394年)6月14日、足利義満の3男として生まれた。幼名は春寅。応永10年(1403年)青蓮院に入室し、応永15年(1408年)3月4日に得度して門跡となり「義円」と名乗った。同じ日に異母弟の足利義嗣従五位下に叙爵されており、義円は義満の後継者候補から外れた[1]。応永20年頃には准后宣下を受けている[2]。応永26年(1419年)11月に百五十三代天台座主となり、「天台開闢以来の逸材」と呼ばれ将来を嘱望されていた。その後一時大僧正も務めた[3]。

足利義教 - Wikipedia
ウィキペディアには書いてないが、応永21年に何らかの事件があったらしい)


公家内部に義円が後継者になることに不満な人物がいて、このような話を創作したのだろうか?この点については何ともいえない。


それとも義円と管領の仲を引き裂くための工作だろうか?等々陰謀論的な考えが浮かんでくる。



しかし、それとは全く別の可能性もある。


義円が凶なのは義円がたまたまクジ引きで当たったからであり、他の三人の誰が当選しても同じ話が作られた可能性だ。


すなわち、俺の推理では、この話の真意は「義円は凶」というものだが、さらなる真意があるということになる。


その真意とは「クジ引きで後継者を決めること自体が凶であり、ろくなことにならない」ということだ。


(つづく)