⇒2012-10-27の続き
これまでのまとめ。(1)クジ引きは八百長ではない。(2)「くじを三回引いたら三回とも義円と出た」という話は学者のいうような話ではなく「義円は凶」という話。ここまでは自信がある。
これからする話は大した根拠があるわけでもない推理であって間違ってるかもしれない。そうだとしても、また、こんな話が出来た理由が不明であっても、今まで書いてきたことが否定されるわけではない。否定するためには「義円が不自然な嘘をついた理由」「クジを三回引いた理由」「三回目を他人が引いた理由」について納得のいく説明をしなければならない。
以上のことを踏まえた上で先に進む。
『建内記』の「くじを三回引いたら三回とも義円と出た」という話は「義円は凶」という話であるが、義円に的を絞って批判するために作られたものではなく、クジに当たったのが別人だったとしても同じ話が作られたのではないかと俺は考える。そして、この話の真意のさらに真意は「クジ引きで後継者を決めること自体が凶であり、ろくなことにならない」ということであろうと考える。
「クジ引きで後継者を決めること自体が凶」とは、
神さま仏さまを心の底から信じていて、神妙にお告げを待っていたのだろうか。
という疑問を持たれている本郷和人氏なら「足利義持の後継者を決めるという重大事において、神に決めてもらうという非科学的・オカルト的な行為は馬鹿げている」という意味で捉えるかもしれないが、そういう意味ではない。
今谷明氏の『籤引き将軍 足利義教』には、平安後期の堀河天皇譲位の際の卜占の話や後鳥羽天皇践祚の話など、政治的な事柄に卜占が活用された例が載せられている。卜占自体が否定されていたわけではない。もちろん中にはそのようなものを本気で信じていない人もいただろうけれど。
俺は「クジ引きで後継者を決めること自体が凶」という意味は神託や卜占などの全体を否定したものではなく「足利義持の後継者を決めるクジ引き」のみが対象になっているのではないかと考える。
では、なぜ「足利義持の後継者を決めるクジ引き」が凶なのか?
この点について、俺は「八幡神に聞く」ということが問題だったのではなかろうか?と思うのだ。
(つづく)