神前御棚の上に於て畠山入道これを執る。両度これを執る。青蓮院なり。次で他人をしてこれを執らしむるの処、また青蓮院なり。三ヶ度同前と云々。(建内記 正月一八日条)
三回目のクジを引いた「他人」という名無しさん何者なのか?
万里小路時房は「他人」の名前を単に知らなかっただけなのか?もちろん、この話を聞いたときに既に名無しだった可能性もある。けれども、これは足利義持の後継者を決めるクジである。誰が引いたかは重要なことだろう。現に管領の畠山満家が一回目と二回目のクジを引いたことは記してある。それなのに三回目のクジを引いた者がわからないというのは不自然ではないか。
しかし、三回目のクジを引いた者の名が表に出ると都合が悪いから隠蔽したという陰謀論も、そんなことをする理由が見当たらないので考えにくい。
では、どういう可能性があるか?俺が思いつく可能性は一つだけだ。
それは、三回目のクジを引いた者は名を記すに値しない、または人に伝えるに値しない者だと考えられたという可能性だ。
すなわち、身分の低い者が三回目のクジを引いたということだ。おそらく畠山満家の従者ではあるまいか。身分が低いといっても管領の従者だからそれなりの地位はあったかもしれないが、万里小路時房の属する上流社会から見れば取るに足らない、名前を記すに値しないとされる人物だったということではなかろうか?
俺にはそうとしか考えられない。
しかし、だとすると問題が生じる。なぜそのような人物が義持の後継者を決めるという重要なクジを引いたのか?ということだ。
この問題を解決するためには、本郷和人氏の、
満済と諸大名は談合して義円を戴くことを決め、その結果を補強するためにくじ引きという神事を設定した
という主張や、今谷明氏が『籤引き将軍 足利義教』で紹介している
これは三度ひくというところに神意の確実性を認めようとしたのであろう。
という主張を根本的に見直さなければならない。
俺の考えでは『建内記』に記されているエピソードの真意はそういうものではない。