『建内記』で三番目にクジを引いた名無しさんは、上流社会において伝えられ、また記録される意義があるとは考えられなかった格下の人物であり、おそらくは管領畠山満家の従者であろう。
だが、なぜ足利義持の後継者を決めるクジを引くという大役を彼が務めたのか?
最初からの予定でなかったことは明らかだ。クジを引くのは管領であり彼であるはずがない。それに『建内記』の原文には「次令他人取之處又青蓮院也」とある。
命じたのは畠山満家で、八幡の神前で急遽命じられたと考える他ないのではないか。
でも、一体なぜ?
クジは三回引くことになっていて、既に二回義円と出ているから決定した。残りの一回は消化試合のようなものだ。「もう決まったから後は君がやっといて。僕は茶でも飲んでいるから」みたいなノリで満家がサボったのだろうか?しかし、いくら管領といえども、諸大名と相談して決めたことをそんな軽いノリでやって良いはずがなかろう。
そうでないとすれば、どう考えれば良いのか?俺は「極めて異例の事態」が起きたからだと思う。
「極めて異例の事態」とは「三回目のクジを引く」という事態のことだ。
すなわち、当初の予定では三回クジを引くつもりはなかったということだ。
もちろん、これだけでは説明不足だ。なぜなら「じゃあ二回クジを引く予定だったのか」ということになるから。四人の中から一人を選ぶクジを二度やって後継者が決まるためには、同じ人物が二回連続で出なければならない。すなわち四分の一の確率だ。言い方を変えれば四分の三の確率で後継者が決定しないということだ。そんなクジの方法はちょっと考えられない。
つまり、「当初の予定では三回クジを引くつもりはなかった」とは、「当初の予定ではクジは一回のみであった」ということであり、二回目、三回目のクジは予定に無かったということだ。
そろそろ俺が何を言いたいのか気付いた人もいるだろう。
(つづく)