⇒2012-10-22の続き
昨日の記事を書き終えてから気付いたのだが、クジを三回引くことは実際にあったそうだ。
『新続古今和歌集』(しんしょくこきんわかしゅう)は、室町時代の勅撰集。二十一代集の最後にあたる。
室町幕府第6代将軍足利義教の執奏により、後花園天皇の勅宣を以って権中納言飛鳥井雅世(初名雅清)が撰進、和歌所開闔として堯孝が編纂に助力した。永享五年(1433)八月二十五日下命、同十年(1438)八月二十三日四季部奏覧、翌十一年六月二十七日成立。真・仮名序は共に一条兼良の筆。撰進のために応製百首(永享百首)が召され、宝治(後嵯峨院)・弘安(亀山院)・嘉元(後宇多院)・文保(同)・貞和(尊円法親王)度の百首歌も選考資料となった。
今谷明『籤引き将軍 足利義教』によれば、この時クジ引きが行われたということだ。
抽籤の方法は、堯孝に玉津嶋社(もと俊成邸跡と伝えられ、和歌の神をまつる)の神前で鬮を取らせ、雅世は神祇官北庁において、住吉社(古来著名な歌の神)の方向に向って(すなわち遥拝の形で)鬮を引かせた。抽籤の札は満済が「可」札を六枚、「不」札を六枚都合一二枚書き、各社宛三枚づつ封をして、右の場所で抽かせている。結果は、玉津嶋で堯孝の引いた札が可の札三、神祇庁で雅世の引いた札が可が二、不が一と出て、撰集が決定した(以上『満済准后日記』八月十・十二・十五・十七日各条、『看聞日記』九月廿二日条)。
また図書館に行って確認せねばなるまい。今月中は無理。『続群書類従補遺』はまだパブリックドメインでないらしく、近代デジタルライブラリーにないのは不便なことだ。
今谷氏はくじ引きで「撰集が決定した」としているが疑問。両者の結果が異なってたらどうするつもりだったのだろうか?これも八百長か?そうではなくて飛鳥井雅世と堯孝が相応しい人物か占わせたのではないか?ただし本人がクジを引くというのは、それこそ不正が起きやすい。しかも両者とも「可」と出たという。六四分の一ほどではないが怪しい。当たりクジに目印でも付いていたのではないか?あるいは本人に引かせたのは「空気読め」ということで、たとえ不が出ても可と申告しろということだったりして。
出典が『満済准后日記』と『看聞日記』とあるので、これも両者の言ってることが違う可能性もある。調べてみないことには何とも言えない…
ただし、だからといって義持の後継者選びのクジ引きもやはり三回だったということにはならないだろうと思う。昨日書いたように三回引くのはトラブルの元になる可能性がある。あと決定的な違いは『新続古今和歌集』の場合は同一人物が三回引いているのに対し、後継者選びの場合はそうではないということ。
またクジを三回引くという実例があるということは、『建内記』の三回引いたという「デマ」が発生した理由の一つになるかもしれない(時系列ではこっちが後だけどそれ以前にも同様の事例があった可能性がある)
(つづく)