将軍足利義教は八百長で決まったのか?(その12)

建内記』の誤った情報について「デマ」と書いたが、「デマ」とは

《「デマゴギー」の略》
1 政治的な目的で、意図的に流す扇動的かつ虚偽の情報。
2 事実に反するうわさ。流言飛語。「人を中傷する―を飛ばす」

デマの意味 - 国語辞書 - goo辞書

本来の意味は1である。このケースではどちらに該当するのか?


満済准后日記』の満済は「当事者」であり、『建内記』の万里小路時房は「部外者」で伝聞情報を書いたにすぎない。現に足利義持の病状について『満済准后日記』には腫物を傷つけたこと、及び義持の「御傷以外也」という言葉を伝えているが、『建内記』を読むだけでは悪性の腫瘍であったとしか解釈できない。


よって、クジ引きの記事も、単に情報が伝わる過程で変質してしまった可能性は大いにある。しかし、それにしてはあまりに元情報とかけ離れすぎている


万里小路時房は確かに「部外者」ではあるが、権大納言であり幕府と無関係というわけではない。どころか正月十九日付の記事には、義円の還俗についての満済からの問いに、満済に直接会って答えている。


万里小路時房が聞いた情報は、伝聞に伝聞を重ねたような末端の情報ではない。というか『建内記』十八日条を読めば、

勧修寺前中納言経興、告示之、

と義持死去の報が勧修寺経興より伝えられたと書いてあり、クジ引きの情報も同時に伝えられたと考えるのが自然だろう。

応永27年(1420年)1月10日に参議に任ぜられる。武家伝奏を務めた。

勧修寺経興 - Wikipedia


武家伝奏が伝えたのだとしたら、これは幕府側から出された情報の可能性が高い。


ところがこの情報は事実ではない。どころかこの話の「真意」は俺の考えるところでは「義円は凶」というものだ。


おかしなことになってしまった。俺の考えが間違っているのか?本郷氏の言うように「くじを三回引いたら三回とも義円と出た」というのは八百長ではあるにしても事実だということなのだろうか?


しかし『満済准后日記』と比較すれば、これが事実でないことは疑いない。


一体どういうことなのか?


(つづく)