黒歴史(1)

俺は子供の頃から歴史が好きだった。とはいっても、それはテレビドラマや歴史番組、あるいは新聞の歴史記事が好きだったとかいうレベルの話。特に歴史ミステリー的なものが好きだった。ただし知識は歴史ファンの中では底辺に位置するものだっただろう。


歴史史料に謎めいた記述があるが学界では事実と認められていない。在野の研究家はそれを「事実」、もしくは「何らかの事実が含まれたもの」、あるいは、「事実を仄めかした暗号」などと理解し、そこから「本当の歴史」を解き明かそうとする。一方、学者(全ての学者というわけではないが)は、そのような史料の記述を「荒唐無稽な作り話」、「面白おかしく書いたもの」「誰々を神聖化しようとしたもの」、「誰々を貶めようとしたもの」、「史料的価値の低い史料であり信用できない」などといって批判し、まともに研究しようとしない。そういった大雑把な印象を持っており、それに不満を持っていた。そういう記述が書かれたのには、書かれた理由というものがちゃんとあるのだろう。それを単純に事実だと判断するのは安直だが、逆に「陰謀論」的に理解するのも安直すぎる。どっちも極端だ。そういった大雑把な印象を持っており、それに不満を持っていた。


そういった不満を持っていたときに目にしたのが井沢元彦の『逆説の日本史』。日本の歴史学には「呪術的側面の無視ないしは軽視」があるという。まったくもってその通りだと思った。俺はたちまち『逆説の日本史』のトリコになった。


もちろん、俺の歴史知識は乏しかった(今でもだが)。しかし、『逆説』に書かれていることは、尤もなことだと思った。そして何より、その思考方法に惹かれた。井沢氏の説が結果的に間違っている可能性はあるかもしれないが、方法としては正しい。それこそが重要だ。学者が井沢氏の方法を採用すれば、日本の歴史学が変わるだろう。だが学者は「史料至上主義」であり、頭が固い。嘆かわしいことだ。井沢氏こそ、その日本の歴史学に風穴を開ける救世主である。抵抗は大きいだろうが頑張ってほしい。


そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。ところが…