『歴史の見方考え方』(板倉聖宣 仮説社)を読む

本格的に考察しようとすれば、時間も労力も大変なことになるだろうから、気になったところを思いつくままに書くだけ(ツッコミ歓迎)。



本の中で平尾道雄著『(増補新版)高知藩財政史』で紹介されている享保八(1723)年度の高知藩の「食糧生産と消費を対照した」記録(「板垣氏自家雑記」)の読み下しが載っている。

一.地高 33,8800石……土佐の大積[おおよその計算]
内 24,7800石……本田・畠とも
    9,1000石……新田・畠とも
 右[上の]作法[つくり方]
田方23万石にして,(本田のうち4分の3が田として,それに新田の4.5万石を加えた。)
出来物,左[下]の通り。
一. 米 27,6000石……ただし,1反につき1.2石の計算
一. 麦 12,0000石……ただし,夫食[農民の食料]につかまつるときは,麦2升を米1升の積もり[つまり米6.0万石分]
一. そば7,400石くらい……1.5升にて米1升役の積もり[つまり米0.5石分]
一. 粟・ひえ・きび 9000石……3升にて米1升役の積もり[つまり米0.3石分]
一. いも 2,5000石……3升にて米1升役の積もり[つまり米0.81石分]
一. 大小豆 7400石……このうち半分,夫食につかまつるはずにして,これは米ふりかへ積もりなり[つまり米0.37石分]
右[上]5個条[の雑穀類]米にして,8万石。(2口合わせて,米[換算量])35.6万石。
御国中,人口40万人の積もりにして.うち10万人赤子,残る30万人のうち.
15万人 男子一人扶持[1年分の食料]1.8石
15万人 女子 半扶持 0.9石として.
右[上]扶持米 40.5万石[=1.8×15万+0.9×15万]
 うち,35.6万石の右[上]の出来物を引くと,
残りが4.6万石[正しくは4.9万石]不足
  この不足分は,わらび,いものくき,つわ[ツワブキ],大根,かぶな,この類,夫食の足しにつかまつり,また[以下,読み下しに疑問の余地があるので,原文のまま引用する]末々宛の通にも扶持米入不申旁にて不足分はいへ可申哉。

要約すると
収穫……米が27.6万石。それに麦6.0+そば0.5+粟・ひえ・きび0.3+いも0.81+大小豆0.37=7.98万石≒8万石。合計35.6万石。
消費……40.5万石[=1.8×15万+0.9×15万]
不足……4.6万石[正しくは4.9万石]


人口の一割(4万人)の武士や町人が米だけを食べたとしても4.1万石(4.1×1の計算か?)で残り23.5万石。農民は米23.5万石と麦6万石、雑穀芋2万石、野菜野草4.9万石を食べていたことになる。



以下俺の感想


※ 板垣氏はなぜか武士・町人の米消費を年1石で計算しているけれど、男子1.8石・女子0.9石(平均1.35石)で計算すれば4万人の場合1.8×2+0.9×2=5.4万石。4.1万人で計算すれば5.535万石。ただしもちろん武士・町人が米だけを食べて生きていたわけではないので1石で計算してもいいかもしれない(その場合は麦・雑穀類の農民消費分としているものを減らさなければならないがややこしい)


※ 土佐30万人のうち武士・町人4万人とすれば残り26万人。米23.5万石で計算すれば1人当たり約0.9石。男子1.8石・女子0.9石の割合で配分するとしたら男子約1.2石、女子0.6石。


※ 同様に麦6万石は36万人に分配すれば1人当たり0.23石。男女では男子0.31石、女子0.15石。米換算しないと1人当たり0.46石。男子0.62石、女子0.31石。


※ 米換算しないと、麦12万石、「雑穀芋」がそば0.74石、粟・ひえ・きび0.9石、いも2.5石、大小豆0.74石で合計4.88万石。それに「野菜野草」が米換算で4.9万石。


※ 男子1.8石を考えると、米1.2石とすれば残り0.6石は米以外で補給しなければならない。これだけだと2対1の割合ということになるけれど、0.6石というのは米換算であり、換算しなければ麦だけで0.62石、雑穀類も計算面倒だけど倍以上になる。「野菜野草」に至っては換算方法も不明だが量的には米よりも米以外の方が多くなることは確実


したがって

「江戸時代の農民は、いもの葉や大根なども御飯のなかにたきこんで食べなければならないことがあったにしても、その主食の大部分は米であった」(同書)

と言い切ることはできない。もっとも「主食」とはなにかというのがややこしい。芋、野菜や大小豆などは「おかず」にもなるわけで、仮に米と米以外の割合が1対1だとしても、米以外の部分が「おかず」として使われていれば「主食」が米とはなるだろう。ただし麦は「おかず」にはならないだろうと思われ、男子1.8石のうち米1.2石、麦0.62石(米換算しない場合)だとすれば2対1の割合になる。



なお、以上は「板垣氏自家雑記」が正確な記録だとした場合の話であり、そこを疑えば話はもっと複雑になる。まずなんといっても疑わしいのは人口40万人で赤子10万人という見積もり。「赤子」は米も雑穀類も食べない設定になっているので文字通りの「赤子」すなわち乳幼児のことに違いない。しかし人口40万人のうちに「赤子」が10万人もいるというのは到底考えられないだろう。


もちろん土佐が米換算で35.6万石というのも本当かいな?と思う。太閤検地で9万8000石。慶長10年(1605年)に20万2600石余りと届け出。元和元年(1615年)徳島藩に対抗すべく「25万7000余石」を申告するも幕府は認めなかったといわれる。
土佐藩 - Wikipedia
額面上の石高と現実は違うというけど土佐藩の場合は見栄を張ったとされてるから・・・


さらにこれは板倉氏も一応指摘しているが、年貢のことが全く出てこない。年貢として取られても巡り巡って農民の口に入るのだということかもしれないけれど、年貢の大部分は大阪に回送されるというのが通説だろう。一度海を渡って大阪に送られ、また海を渡ってはるばる土佐に戻ってくるなんてことがあっただろうか?このあたり大いにナソである。


※ あと最も基本的なことなんだけど「麦2升を米1升の積もり」ということは、米1升で得られる栄養は麦では2升を摂取しなければ得られないとしていることになると思われるがこれは事実なんだろうか?単純に比較はできないだろうけれど、農作業に必要な栄養ということで考えた場合どうなんだろう?そっち方面に疎いので全くわからない。