「また大西か」

これはそれほど話題になったわけでもないけど。
そもそもこのフレーズはどういうシチュエーションで使われていたかというと、日本のマスコミが「米国の有力紙に日本を批判する記事が掲載された」とかいう記事を書く。それが2ちゃんねるのニュース速報板やマスコミ板で紹介される。するとすかさず「また大西か」という書き込みがある。その時点では誰が書いた記事かわからない。で、実際調べてみると、案の定それはニューヨーク・タイムズのノリミツ・オーニシ氏の記事であることがわかるというわけ。で、「当てずっぽうに書いたのに本当だった」という「落ち」。
「海外からも批判の声があがっている」という報道に弱い日本人という構図(事実かどうかは別にして)があって、それを利用しようとするマスコミに対する皮肉。第一の目的はマスコミ批判であって、これによって実際の海外の世論はそうではないということを主張しようとしたものではないと俺は認識している(そういう使い方をされている例も多いけど)。


似たような例としては、「自民党の一部からも小泉批判の声」というのがある。自民内部に反小泉的な人がいるのは周知の事実だが、具体的に「○○氏が批判した」とすれば、「また○○か」となるところを、「自民党の一部からも」とすればかなり印象が違ったものになる。
また「市民からの反発」なんてのもある。この場合も名前をグーグルで検索してみると、政治活動に熱心な、いわゆる「プロ市民」であることが判明することがよくある。これも「○○に所属する誰々が批判した」と「市民が批判した」ではかなり印象が違う。
これも上と同様に、だからといって一般市民は批判的ではないという結論は導きだせないけど、マスコミの印象操作に騙されてはいけないということだけは言える。


また2ちゃんねるでは「またお前らか」というフレーズもよく使われるけど、例えばテレビのニュースでネット犯罪が報道されると、実況板で「またお前らか」という書き込みがたくさん書き込まれる。実際にその事件に「2ちゃんねらー」が関与しているか否かは関係ない。お前らならやりかねないというジョーク。書き込んでいるのはもちろん「2ちゃんねらー」。


ところで、この「また○○か」というフレーズのルーツはどこにあるんだろう?
戦後間もない1949年、「下山事件」「松川事件」「三鷹事件」という戦後国鉄の三大ミステリーと呼ばれる事件が立て続けに起きた。で、共産党の関与が疑われた。その時、NHKが共産党が疑われるのを皮肉って、「下山事件」「アカのしわざか!」「松川事件」「またアカのしわざか!」「三鷹事件」「またアカのしわざか!」ときて、次に台風か地震か何だったか忘れたけど明白に人間業ではないことがあって、それも「またアカのしわざか!」って叫ぶってラジオ番組を放送して、それがGHQに咎められたとか何とかという事件があったというのを、家永三郎が編集した『日本の歴史』って本で読んだ記憶があるんだけど、なにぶん大昔に読んだことなんで記憶が曖昧。確認しようと近所の図書館に行ってみたけど置いてなかった。