日本史のプロの書いた本を比較する(山内一豊編)

この前、トンデモ「研究」について、ちょっと書いたんだけど、
http://d.hatena.ne.jp/tonmanaangler/20060327/1143465302
マチュアの書いたものは、史料を精査しないで、思いつきで書いたものが多いのは確かだと思います。それではプロの書いたものなら安心なのかという話。


もちろん学界で定説とされているものでも、絶対に正しいとは言えないわけで、新史料の発見で定説が崩されることは珍しいことでもなんでもない。しかし将来はともかく現時点で定説とされているものはあるわけで、歴史のプロが書くものであれば、そういう範囲内で信頼してもよさそうだ。と普通思いますよね。


また、ほぼ間違いないという定説がある場合もあれば、異説があって学界でも見解が分かれる場合もありますよね。そういう場合、アマチュアだと自説に固執するあまり、都合の悪い異説は無視したりするかもしれないけど、プロであるならば公平に自分の支持する説以外も紹介するものだ。と普通思いますよね。


果たして本当にそうだろうか?ってちょと不安になるようなことがありました。


今年の大河ドラマ功名が辻」。原作は国民的作家の司馬遼太郎。主役は山内一豊とその妻。これはもちろん小説。でも大河ドラマになると、関連本がたくさん出される。圧倒的に多いのが作家の書いたものと、歴史家の書いたもの。小説家の書いたものは面白いかもしれないけど、信用度という点では歴史家の書いたものが優れている(はず)。


俺が買ったのは、
山内一豊 負け組からの立身出世学 小和田哲男 PHP新書
検証・山内一豊伝説「内助の功」と「大出世」の虚実 渡部淳 講談社現代新書
の二冊。両方とも2005年10月発行だから、大河ドラマに便乗して出されたものと見て間違いない。


小和田哲男氏は有名。静岡大学の教授。著書多数。NHKの「その時歴史が動いた」にもよく出演して、テレビでもお馴染み。そして大河「功名が辻」の時代考証もやっている。渡部淳氏は財団法人土佐山内家宝物資料館館長、名古屋大学大学院博士課程修了。


で、読み比べてみると、かなり書いてあることが違う。びっくりする。
一例をあげてみる。


岩倉城落城後、一豊は浅井政高(新八郎)、前野長泰(長康)に仕え、次に牧村政倫(まさみち・まさとも)に仕えた。その頃の話。(ちなみに政倫の読みを二つ書いたのは両書のふりがなが違うから)。


「若輩に過たる振舞」
山内一豊 負け組からの立身出世学 小和田哲男 PHP新書

その様子を遠くから見ていた政倫は、一豊に「若輩には過ぎた振舞」とどなって助太刀をし、敵を追い散らすことができたという。腕に自身があったものと思われるが、やや猪突猛進のきらいがないとはいえない。(P58)

検証・山内一豊伝説「内助の功」と「大出世」の虚実 渡部淳 講談社現代新書

永禄三年の夏、牧村氏は不意に五、六騎の敵から襲われた。その際、一豊は水色の帷子に鉢巻き姿で戦い、敵を追い払った。牧村は一豊の働きに対して、「若輩に過たる振舞」「さすが山内一子」と言葉をかけたという。(P34)

小和田本の出典は『一豊公御武功附御伝記』であるが、渡部本の出典も恐らく同じであろうと思われる。しかし意味が全然違う。前者は「若輩には過ぎた振舞」で、「差し出がましいこと」という意味であり、後者は「若いのにもかかわらず良くやった」という意味に受け取れる。どっちが本当なんだ??


もちろん「メディアリテラシー」の基本は、一次資料に当たることである。原本を読むべきであるが、そう簡単に見ることができる史料でもなさそうである。第一、プロが読んで、全く違った解釈になるんだから、素人が簡単に判断できるものでもなさそうである。しかし両書とも異説は書いていない。片方だけしか読まなければ、そこに書いてある通りだと信じてしまうだろう。


まあ、この程度のことは歴史にとって特に重要なことではないけど、しかし、プロが書いたからといって迂闊に信じてしまうのは危険ですね。


山内一豊 負け組からの立身出世学 (PHP新書)

山内一豊 負け組からの立身出世学 (PHP新書)