「サヨク」

この用語が使われだしたのは、70年代後半から80年代にかけてではなかったかと思います。
見ての通り、「左翼」と漢字で書くのに対し、「サヨク」とカタカナで書くわけですけど、それはどうしてかというと、ここで言う「左翼」とは、マルクス・レーニン主義等のイデオロギーを信奉して行動する左翼のことであるわけです。ところが、理想的なイデオロギーだと信じていた、マルクス主義思想等が、現実にはソ連や中国や北朝鮮の現状、あるいは日本での内ゲバの惨状等を目の当たりにして、本当に自分達が信奉していたイデオロギーは正しかったのだろうかという疑問を持つ人が増えてきたわけです。そういう人達は、しかしながら、体制側に「従順」になることもできず、宙ぶらりんな状態になってしまったのです。
そういう世相を反映して、三田誠広氏が『僕って何』という小説を発表して、芥川賞を受賞しました。(1977年。ちなみに未読。)また、1983年に島田雅彦氏が『優しいサヨクのための嬉遊曲』という作品を発表しました。(これも未読)また、「しらけ世代」という言葉がよく使われていました。「しらけ鳥音頭」なんてのも流行っていました。(関係ないか)
そんなわけで、「サヨク」とは何かということが、マスコミでも取り上げられるようになったのだと思います。俺の記憶では、朝日新聞が熱心に取り上げていたんじゃなかったかと思うのですけど、大昔のことで、こっちはガキだったんで、勘違いかもしれない。
その後、「ソ連」の崩壊で、それまでもちこたえていたマルクス主義は、大打撃を受けることになります。特にアカデミズムの世界では大きな影響があったようですが、門外漢なもんでよく知りません。とにかく、かつてマルクス主義を基盤にしていた人たちは、これからどう行動すればよいのか路頭に迷ってしまい、新たな道を探し始めたわけです。
そんで、ヨーロッパの左翼を見習ってみるとか、イデオロギーによらない市民運動みたいなことを模索するようになったわけです。
そういう人達のことを、「左翼」(マルクス主義者)ではないが、「左翼的」な人達という意味で「サヨク」という用語を使うようになったのだと思います。要するに「マルクス主義者」と区別するための造語という以上の意味はないと思います。