「プロ市民」

この用語は、元々、「自覚・責任感を持つ市民」という意味だったそうですが、普及せず、現在と似たような意味で使われだしたのは最近のことのようです。(ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E5%B8%82%E6%B0%91
ただし、用語は使われなくても、同様の問題提起は、やはり70年代後半から80年代にかけて既にありました。
一つは「市民運動」は市民といっても、実は、特定の思想団体に所属する人達が、「市民」を隠れ蓑に活動しているという批判的なもの。
もう一方は、これも確か朝日新聞だったのではないかと思いますけど、「なぜ日本では市民運動が大きな支持を得られないのか」というような問題提起として、市民運動が、特定の思想集団に乗っ取られてしまい、大衆の支持が得られないということに懸念を示していたのではなかったかと記憶しています。
具体的には、ある問題について普通の市民が集まって市民団体を結成して、ある程度成果をあげる。そこにある人物が加わる。最初は、ただの正義感から参加したように振舞い、目立たない存在である。彼(彼女)は知人を団体に参加させたりして、元からのメンバーは素直に喜んでいたのだが、ある時期を境に、突然集会を仕切り出す(例えばその市民団体の本来の目的とは関係ない政治的行動を提案する)。気付いた時にはそれに賛同するメンバーが大勢いて、異論を述べる者は徹底的に批判され、追い詰められる。やがて、元からのメンバーは一人抜け二人抜け、完全に乗っ取られ、ある思想集団の傘下組織同然となる。みたいな話だったと思います。
批判的な立場からは、だから市民運動など相手にする必要がないということになり、一方、市民運動支持の立場からは、そういうやり方では衰退してしまうという危機感から、取り上げられるわけです。
そういう、本来の目的は特定のイデオロギーに基づくものであるのに、表面上はそうではないように見える団体に所属する人達が俺の認識する「プロ市民」なわけですが、「ウィキペディア」の説明は違っています。「ウィキペディア」の説明はどうもピンとこなくて、現在、実際に使われている「プロ市民」がそういう意味で使われているのか、疑問です。
それに該当しない人に対して、そういうレッテルが貼られたからといって、それが必ずしも定義が変更されたということにはならないと思うのですが、どうなんでしょう?前にも書いたように「おまえの母ちゃんデベソ」が「デベソ」でなくても使われるからといって、「デベソとは母親のへそのことである」とはならないと思うんですよね。「ネット右翼」のように、新しい定義が生まれることもあるから、よくわかんない。


というわけで、「サヨク」とはあくまで、分類上の言葉であって罵倒の意味は含まれない。「プロ市民」はそれに該当しない人に対して使われる場合は「不当なレッテル貼り」であるが、該当する人に使われる場合は、それ自体に罵倒の意味はなく、分類上の用語にすぎず、「プロ市民→けしからん」というような説明があって初めて批判の意味が発生する。「サヨ」は「サヨク」に対する罵倒語。「ネット右翼」は罵倒語(ただし最近はそうであるとは限らない)であると同時に、ある定義には該当しても、別の定義には該当しない者を、そうであるかのように印象付ける効果がある用語。であると俺は思います。


以上は、あくまで俺の認識であるから、それは違うという人もいるでしょうけどね。