朝日新聞に何が起きているのか?(パート2)

さて、これら一連の記事は、元から朝日に批判的なネット界の住民には評判がよろしくない。
一方、「ネット右翼」を憎悪している、ネット界の住民の評判は、あまり言及が見られないのだが、直接の言及はなくても、類似(多少ずれているものも含め)の主張をする人は若干ある。


しかし、それらの反応が、朝日の本来の意図を読み取っているのかを考えてみる必要がある。よく見てみると朝日の一連の記事の最大公約数的主張は、『現在、「保守」と自称・他称されているものは、本物の「保守」ではない。』という「真の保守言論待望論」であると思われる。つまり、「リベラルの側から保守にエールを贈っている」ということであろう。


ここでは、それについての評価は行なわない(後でやるかも)。


ここで問題にしたいのは、なぜ朝日新聞がそういう路線を取り始めたのかということである。


朝日新聞は「日本が右傾化している」という認識を持っていた。これは今に始まったことではない。もはやネタとして有名だが、「軍靴の音がする」「時計の針を逆に戻すな」等のアピールを記事や読者の投稿という形でさんざんしてきた。そこでは、「右翼的」な考えを持つ者を徹底的に批判してきた。「彼らの考え方にも一理ある」というような思考は、全く無かったとは言わないが、むしろ議論の余地のない「悪」であるとする考え方の方が主流であった。(ただし露骨にそう言っていたということではない。巧妙に表現されていることが多い。)


それが一部とはいえ変化しているようなのである。もちろんまだまだ引っかかる点は多い。しかし、これまでの朝日新聞的言論はあまりにもひどかった。それが変化するのなら、「保守」である俺としても歓迎できることなのかもしれない。


この朝日新聞の路線変更は何を意味するのか?そしてこの路線変更は本物か?この路線変更は長続きするのか?